今は亡き三浦和義氏は「ロス疑惑」によって自らが人権侵害を受けた経験から、人権問題に関わるようになった。特に、無実を叫びながら逮捕された人たちの救援に尽力してきた。しかし一方で、その言動が問題になることが度々であった。

1つは奇行により騒がれることだった。2度にわたり万引きの疑惑を持たれたのだが、これはどちらも短気を起したことが原因だった。

まず、書店でのことだ。彼が代金を支払わず本を持って出る様子が防犯カメラに映り、このため警備員が駆けつけたところ、会計ではなく注文などをするカウンター前にいた。ここで支払いができると思ってしまったと言うので、盗む気はなかったと考えられるから嫌疑不十分ということになったが、そもそも、会計をしようとしたら他の客が並んでいたので、待つのが嫌だからと別のカウンターへ行ったと言うのだ。

次に、コンビニ店でサプリメントを万引きしたという疑惑だ。ここでも不審な行動をとる三浦氏の様子が防犯カメラに映っていたため通報されたのだが、やはり会計をしようとしたら他の客が居て、並んで待つのが嫌そうだという印象を充分に与える態度であった。

しかし、三浦氏に会ったことがある人は、彼が普段は落ち着いた感じの人で、短気を起すようには思えないと一様に語る。ただ、そういう人でも混雑に苛立つことはある。結局、真相や原因は多くの部分が有耶無耶になってしまった。

こうした奇行には困ったものではあるが、むしろ問題なのは、彼の不見識とも言える言動の数々だった。

三浦氏は、「ロス疑惑」で自分を貶め迫害したのが『週刊文春』や『週刊新潮』などの右派メディアであり、逆にNHKと朝日新聞が徹頭徹尾慎重な対応をしたうえ、『朝日ジャーナル』『週刊金曜日』その他の左派とか人権派とかいわれるメディアが、三浦氏への人権侵害を指摘し、文春ジャーナリズムを糾弾したことを、彼は充分に承知していながら、文春や新潮のほうに共感するのだった。

例えば、靖国神社の問題で、三浦氏は毎年8月に必ず参拝し、そうすることが日本人の義務であると説き、批判する者は中国や韓国など敵対する外国の手先であると根拠もなく非難し続けた。今の流行である「反日へイトスピーチ」を、早くから先取りしていた。

もちろん、自分についての報道は気に入らなくても、政治的姿勢では一致することもある。しかし、それならばきちんとした根拠と共に論を立てるべきである。彼は逮捕されたさい裁判のため法律の本を読み漁り、法律家顔負けの知識を持っていた。そして名誉毀損の本人訴訟マニュアル『弁護士いらず』という著書まで出版していた。だから、靖国神社についても法的見地から一席ぶってよさそうなものである。

それをせず、レッテル貼りの誹謗をするのでは、自分がされてきたことについて文句が言えないではないか。

また、三浦氏の本業は貿易商だったが、お洒落な高級品を輸入販売することには抜群のセンスを発揮してきたけれど、貿易に関わる国際問題には自分の商売と直接の関係はないため無関心であった。だから南北問題とかフェアトレードということには冷淡で、弱肉強食の競争社会で勝ち組になりさえすればよいとの発想であった。

そして、植民地主義などまるで意に介さず、サイパンに観光旅行に行って米当局に逮捕されるまで、当地が米領であることも知らなかったのだ。

そこで彼が自殺したことに遺族は暗殺を疑っているが、それはともかく、葬儀の式場には鈴木宗男氏からの花輪も届いていた。三浦氏は鈴木議員と親交を深め、自らが製作した映画にカメオ出演までさせていた。そして刑事事件では擁護しつづけた。
また、小沢一郎氏が総理になることを熱望してもいたから、存命だったら陸山会事件で擁護していただろう。

しかし、左派系野党の議員がそれゆえ政治的な迫害を受けても、三浦氏は常に冷淡だった。普段、党派とは無関係に、法的見地からのみ公正に発言したり擁護したりすると言っていたのだが、それは彼の言動の現実から明らかに虚偽だった。
こうした彼の態度に、失望させられた人は少なくない。

(井上靜)