「憲法を解釈するのは私だ」として、安倍晋三首相は集団的自衛権の行使を可能にしようとしている。
集団的自衛権は、世界でどのように機能してきたか。
9・11事件のあったアメリカが、アフガニスタンを軍事攻撃する際、北大西洋条約機構(NATO)が、これに参加したのは集団的自衛権によってである。
さかのぼれば、アメリカがベトナム戦争を行ったのも、集団的自衛権による。
南ベトナム解放民族戦線による内乱を、同盟国であるベトナム共和国(南ベトナム)が、ベトナム民主共和国(北ベトナム)から攻撃を受けているとして参戦したのだ。
韓国がベトナム戦争に参加したのも、アメリカと同盟関係であることによる集団的自衛権の行使である。
中米のニカラグア、エルサルバドルに介入したことも、アメリカは集団的自衛権の行使だとしている。
1956年のハンガリー、68年のチェコスロバキアで、市民の反乱を鎮圧するためにソ連は軍隊を送り込んだが、これも集団的自衛権の行使による。
憲法9条があろうがなかろうが、集団的自衛権を認めるということは、戦争ができる国になるということだ。
それなのに、共同作戦をとっている時に米軍の艦隊が攻撃されたらどうするか? 米軍に向かう弾道ミサイルを自衛隊は打ち落とすことはできないのか? といったまやかしの議論ばかりがまかり通っている。それらは、政府の有識者会議が出した例証にすぎないのに、マスコミもそれに振り回されている。
ここまで重要なことなのに、国民的議論が盛り上がっているとは言えない。
そこには、護憲派を言われる人々の立場の不鮮明さもあるのではないか。
ひとくちに護憲派といっても、憲法9条の文言通りに一切の軍備を持つべきではないという者から、自衛の範囲の軍備は持っていいという者まで様々だ。
同じ人が、時と場合によって、その振り幅のどこかを選んでいるということも珍しくない。
アメリカの属国から脱するためには、日本の軍備を強化すべきだという主張もリベラルな論者の中にもあるのだが、そういった議論は護憲派ではタブーになっている。
護憲派には、理想を掲げる夢みる人々、というイメージがある。
現実を見据えた議論を行わなければ、いつの間にか、戦争ができる国になっていた、ということにもなりかねない。
(深笛義也)