終了が決まった『森田一義アワー笑っていいとも』に、安倍総理が出演したが、このときスタジオ周辺には『安倍晋三アホー辞めていいとも』という皮肉のプラカードを掲げた人たちがやってきたことで、また話題となった。
この番組の司会者タモリこと森田一義に、お笑い芸人として恥ずかしくないのかと批判する人がいた。もちろん仕事だから仕方なく、ということだろうが、かつて彼は赤塚不二夫のもとで「密室芸人」と称しアングラな笑いを構築していたし、また、かつてタモリは朝日新聞の宣伝で、当時同紙の記者だった筑紫哲也編集委員と共演したことがあり、そのときタモリの見識に筑紫哲也は感心したと述べていた。
例えば、当時売り出していた竹村健一についてどう思うかと訊ねたら「あの人はお茶の間の無知に付け込む人です」ときっぱり言ったそうだ。
しかし、「密室芸人」も『笑っていいとも』からメジャーとなって、それと同時に気骨は失せてしまったようで、本来の彼らしさは、夜の低予算番組『タモリ倶楽部』に、わずかな名残がある程度だった。
ただし、あの竹村健一には、趣味のテニスについて「あの顔で」とバカにしたように言って笑い、そのあと電話をかけたら竹村健一が「今、見とった」と怒ったように言い、「あした来てくれるかな」「行かんよ」という調子で、後に番組がやらせばかりとなる前にはハプニングがあって面白かったことを証明していた。
そして、『笑っていいとも』にゲストで出演した赤塚不二夫と筑紫哲也は、タモリを皮肉っていた。
赤塚は、芸をやって見せると言いながら、着てきたアラブ民族衣装風の服の裾を捲り上げて、カメラに映るようにして履いている白いブリーフを見せてしまい、これにタモリが慌てると「昼の番組って、そんなに厳しかったか」と、とぼけてみせた。
筑紫は、タモリほど、若い人に悪影響を及ぼしている人はいない、と言った。ただ、その後、タモリは発言が誤解されたとも言い、これにタモリは喜んで事情を説明していた。
タモリが流行させた言葉に「根暗」というのがある。これは「根は暗い」ということで、上辺だけ明るく見せ、本性の暗さを隠している人、という意味だった。それなのに、「根から暗い」と曲解されてしまい、軽薄な人が真面目な人を嘲笑する言葉になってしまった。
こう、タモリが説明すると、筑紫は、タモリのことを批判した自分も、その後しばらくして、タモリと同じ目に遭ってしまったと言った。
筑紫が『朝日ジャーナル』の編集長だった当時、編集長の対談シリーズで「新人類の旗手たち」という企画をしたが、これは様々な分野で活躍している次世代の人たち、という意味だったのに、それが曲解により、若い世代は不可解な発想をするので世代間が断絶しているという意味にされ、年配の人が若い人に「新人類」とレッテル貼りをするようになってしまった。おかげでコミュニケーションが阻害されてしまい、筑紫のせいだと批判されたこともあるそうだ。
どれも、マスメディアに責任があることだが、特にこうしたことは80年代の特徴だった。70年代までの反動と、80年代の消費社会の成立と保守化により、真面目に考えたり行動したりすることは忌み嫌われ、個人主義ではなくただの引きこもりが、日本全体の精神風潮といわれるようになった。
この延長として、なんと総理大臣ともあろう者が、お笑い芸人が司会をする番組に出演し、政策そっちのけで印象操作の宣伝をし、これに抗議するデモがスタジオの周辺を取り囲むという、現在の事態に繋がったというわけだ。
つまり、今の日本社会の閉塞感は、80年代の軽薄さのツケが回ってきたことによるものである。その象徴が、総理の『いいとも』 出演だったのだ。そして番組とともに、日本も終了なのかもしれない。
(井上 靜)