3月27日、静岡地裁は、袴田巌元死刑囚に関する再審の開始を決定。袴田さんは釈放された。事態の推移を見守っていた多くの人々から、喜びの声が上がった。
司法を覆っているのは大きな闇……、そこに希望の光が差した。
袴田さんが犯人だとされたのは、1966年6月30日に静岡県清水市で起きた事件。味噌製造会社の専務宅が全焼し、焼け跡から一家4人の死体が発見された。
事件から1年2ヶ月も経って、現場近くの味噌醸造タンクから、鉄紺色ズボン、ねずみ色スポーツシャツ、白ステテコ、白半袖シャツ、緑色ブリーフ、5点の衣類が発見された。緑色ブリーフが袴田さんが穿いていたものと似ているとして、証拠とされた。
だが、2011年に静岡地裁でDNA鑑定が行われ、衣類に付いていた血液は、袴田さんや被害者4人のDNAと一致しないことが明らかになった。

再審決定を行った、静岡地裁の村山浩昭裁判長は、DNA以外にも5点の衣類には証拠として不自然な点があるとして以下のように語っている。
「証拠の衣類の色はみそタンクのみそと比較して不自然に薄い可能性が高い。長期間みその中に隠されていたにしては不自然」
「焼却するなどの証拠隠滅手段もあったのに、早晩の発見が予想されるみそタンク内に隠匿するのは不自然」
「袴田元被告のウエストサイズと整合していなかった可能性がある」
控訴審では、証拠とされた衣類の装着実験が行われている。ズボンは小さすぎて、袴田さんの太ももにつかえて、穿くことができなかったのだ。
裁判長は、「捜査機関が重要な証拠をねつ造した疑いがあり、犯人と認めるには合理的疑いが残る」があると指摘した。

「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」として裁判長は、袴田さんの釈放も決めた。
袴田さんの収監は45年におよび、世界で最長。ギネスにも認定されている。記録が伸びることに終止符が打たれたことは、きわめて喜ばしいことだ。

証拠のねつ造だけでなく、証拠の隠蔽も行われている。
裁判所の勧告によって日の目を見た、袴田さんの複数の同僚の供述では、火事に気づいた袴田さんは、同僚と一緒に消火活動を行っていた。袴田さんが犯人だと疑われた一つは、左手中指にあった切り傷だったが、それは消火活動の際に負ったもの。同僚たちも、怪我をしていた。
袴田さんは、消火活動の際にパジャマ姿だったと、証言されている。犯行を行い、部屋に戻って5点の衣類からパジャマに着替えて消火に携わるには、時間的にまったく整合性がない。
袴田さんの無実を裏付ける、このような重要な証拠を、検察は隠蔽していた

構造的に冤罪が生み出される要因となっている、証拠のねつ造と、証拠の隠蔽が、再審によって糾されること願いたい。
それがなされなければ、48年にもわたって幽閉し、プロボクサーであった無実の袴田さんの人生を奪った、司法の罪は晴れないであろう。

(深笛義也)

★写真は、「袴田巌死刑囚救援議員連盟」総会で挨拶する、袴田さんの姉、袴田秀子さん