なまりきった体をどうにかしようと、休日の朝にランニングをすることにした。ただ走るだけでは面白くないので、毎回目的地を決めることにした。走って行けそうな数キロ圏内の地図を見ると、神社が随分あることに気付く。

そのうちの一つ、青渭(あおい)神社まで行ってみた。さほど境内も広くはなく、参拝する人もあまりいない。地元の人ぐらいにしか知られていない神社だ。それでも伝承によると、建立は十世紀頃と伝えられている。千年以上の歴史があるのだ。多摩地区には青渭神社がいくつか建立されている。

昔はこの地に湧水があり、近隣の住民の飲水としてこの地域を潤していたという。そこで水の神を祀って神社が建てられた。この小さな神社は、当時の地域住民の感謝の表れだ。祀られているのは青渭大神、または水波能売(みずはのめ)大神、青沼押比賣(あおぬまぬおしひめ)命と言われている。いずれも水神だ。蛇を祀ったという伝承もある。

十世紀頃の建立、と書いたが、古くから湧水があったとすれば、地元住民の土着信仰がもっと昔からあっても不思議ではない。水場であれば蛇はつきもので、その蛇のおかげで湧水がある、と古代の人は思ったのかもしれない。そこに大和より神話が伝えられ、神道の枠組みに取り込まれたとも思える。水波能売大神などは古事記や日本書紀にも名前の見える神であり、広く日本中に祀られている。水辺の蛇を祀っていたのが、大和政権の影響でいつのまにか水波能売大神の神社に代わってしまったのかと憶測する。あるいは、蛇神が水波能売大神へと変わっていったのかもしれない。

今となっては確かめようもないが、水神を讃えた神社が千年以上の時を経て、未だに残っていることに魅力を感じる。ちょうど時期柄、桜の花びらが風に舞って、境内一面に散る風景はとても日本的だ。ランニングしやすいようにスマートフォンの一つも持っていかなかったため、写真にも取れなかったのが心残りだ。

ふと気づくと、境内の隅に老人が座っている。その周りを孫と思われる子供が走り回っている。世間的には全く知られていない小さな神社でも、時折やってくる地元住民の憩いの場となっている。そうやって、千年という時を重ねてきているのだろう。

(戸次義継)