時代も変われば生活も変わる。大人の生活が変われば子供の生活も変わる。
小中学校で、子供の持つスマートフォンが度々問題になっているようで、各自治体や教育現場では使用の制限を呼び掛けている。不要であれば子供に持たせない、夜間は使用させないなど各家庭にも協力を求めているという。
過去に携帯電話やポケベルが普及した時も同じような話を聞いた。制限したり使わせない方向でいつも動くことに疑問を持つ。今の時代、必須とは言わないが、大人になればほとんどの人が使用するものだ。特に若い世代ほど、スマートフォンを持たない人のほうが珍しい。いずれ使うものなら、学校が教育の場である以上、使い方を勉強させたほうがずっといい。
スマートフォンは電話機ではなく、小型のPCだ。通話マナーや着信音の設定を教えればいいというものではない。情報処理教育の一環として教えるべきものだ。現在は、小中学校での情報処理教育は自治体によってまちまちということだが、教科の一つとして授業に入れてもいい。社会人になれば、PCの使用は必要になってくるのだから。学ぶなら早いほうがいいのは、どの分野でも同じだ。私が大学生の頃、大学にあるPCの数が足りず、情報処理の授業は抽選だった。抽選に漏れた私は大学では学べなかったが、社会に出ればPC操作、office系が使えて当たり前になっていた。自分でofficeを買って独学で学ぶしかなかった。
スマートフォンをただ持たせない、使用を制限させる、というのは臭いものに蓋をするだけの処置だ。当然限界がある。それよりはスマートフォンで使える、有用なアプリケーションやファイルの使い方を学ばせたほうがいいのではないだろうか。googleやyahooの地図の見方は地理の授業にも応用できるし、青空文庫の使い方を知れば、漱石や芥川の作品がスマートフォンでいくらでも読める。しかも無料だ。インターネット掲示板やSNSに慣れて読解力が落ちる、と懸念する保護者は青空文庫を勧めればいい。
アダルトサイトのような有害サイトの危険性は、今の子供だけが直面するものではない。ネットが無かった頃は、エロ本やアダルトビデオが同じ役割を果たしていたし、いつの時代も親の目を盗んで入手したものだ。
子供がインターネットの情報を鵜呑みにしてしまう、善し悪しが判断できないという懸念の声をよく聞く。それはネットの世界に限ったことではない。私が子供の頃は、学校の先生に朝日新聞を読め、と口を酸っぱくして言われたものだ。朝日新聞が嘘を書く、世論を誘導するなんてことを疑わない人の方が危険ではないだろうか。勿論朝日新聞だけではない。産経だろうが読売だろうが、常に正しいことを書いているとは限らない。
スマートフォンを持つ子供に対する懸念は、メディアリテラシーの問題だ。溢れるほどの情報社会の中で、各人が情報の取得選択をしなければならない。それこそ学校や家庭で教えるべきことだ。メディアリテラシーの意識が無い大人が多いからこそ、マスコミの腐敗を招いているのではないか。メディアリテラシーの意識が無いから、子供にスマートフォンの適切な使い方も教えられず、使用を制限させようとしか言えないのではないか。
(戸次義継)