近年、ネットの普及から「顔の見えない相手とのやり取り」に不安を覚える人が多い。特に子供がネット上で素性の知らない人と交流を持つことに危険視する意見が目立つ。ネットで遊ぶ程度ならともかく、実際に会うという話になれば危険性は急激に増すことになるだろう。女子であれば性的被害を警戒して当然だ。
しかし顔の見えない相手との交流というものは、何も今に始まったことではない。メディアというものが一般に普及して以来、常にあった問題だ。私が子供の頃は、自分のテレビというものは無かったので、メディアと言えば専らラジオだった。当時山のようにラジオ番組を視聴していたが、ラジオのDJやパーソナリティの殆どは、ずっと後になって顔を知ったとか、あるいは今でも顔を知らない人ばかりだ。当時聴いていたラジオ番組で、よく交流会と称して視聴者やハガキ投稿者の顔合わせ企画があった。結局一度も参加したことはないが、顔の見えない相手との交流をメディアが斡旋していたと言える。合コンなども同じようなものだ。合コンやラジオ番組の主催であれば、第三者として紹介する知人や番組スタッフが介するから安全と言うことか。全く誰ともわからないネットで知り合った相手よりは、良いかもしれないが。
アメリカではもっと露骨だ。ラジオや新聞しかなかった時代、演説の巧みさでアメリカを戦争へ導いた人物がフランクリン・ルーズベルトだ。彼はかなりの人種差別者だったと近年では言われているが、当時はそれを暴くメディアもおらず、ラジオから聴こえる力強いスピーチにアメリカ国民は踊らされた。大戦を勝利に導いた人物として今でもアメリカ国民の人気は高いが、彼が身体障碍者で車椅子に乗っていたことすら殆どの人は知らなかった。
テレビと言うメディアであれば、出演者の顔が出る。だからかテレビに出ている人となると「顔の見えない相手」といった危険性をそこに見出す人はいなくなる。しかし特に危険を警鐘するのであれば、むしろこっちの方だろう。テレビであれば、映像を撮るカメラマンはプロであるし、出演者は観せる側のプロだ。ドラマであれば役柄そのもののように観せるし、バラエティであれば面白おかしい人に観せる。情報番組であれば知的な人物に演出するものだ。
それらはすべて作られた世界だと認識しながら観る分には問題ないが、やはり視覚で捉えたものを間違っていると常に認識するのは難しい。だから番組のやらせが発覚する度に大騒ぎになる。最初から顔が見えない相手より、顔が見えることで安心して、嘘で固められたものが言ったりやったりすることを信じてしまうのは危険だ。
まず目に見えるものをそのまま信じるのではなく、目に見えるものでも真偽を自分で判断する力を身に付けていくべきだと思う。それが出来れば、顔の見えない相手の真偽を判断することは容易になるだろう。
(戸次義継)