お昼に買う、2人分のカラコロ弁当orノリ弁。17年近く逃亡を続けた元オウム真理教幹部、平田信容疑者(46)を支え続けた、斎藤明美容疑者(49)。許されない犯罪者を匿い続けたわけだが、どこか甘い香りが漂ってくる。
一方で、11日に広島刑務所から脱獄した、李国林受刑者(40)は、「刑務所に帰る。疲れた。食べていない」と言って女性捜査員に13日夕方逮捕され、わずか3日間の逃亡劇に幕を下ろした。
それほど、逃亡というのは大変だ。平田と斉藤の“甘い逃亡生活”に、逃亡経験者からは「なんとも、羨ましい」という声が上がっている。

同僚のホステスを殺して、15年近く逃亡したのが、福田和子。美容整形を繰り返し、全国のキャバレーを転々とする生活をし、「7つの顔を持つ女」と呼ばれた。
石川県能美市の和菓子屋の後妻に内縁関係で納まるなどの幸せな期間もあったが、ほとんどは孤独な逃亡生活。
公訴時効が成立する21日前である1997年7月29日に、あえなく逮捕された。無期懲役の判決を受けて和歌山刑務所で服役したが、2005年2月にくも膜下出血のため緊急入院。3月10日、入院先の和歌山市内の病院で、享年57歳で亡くなった。

英会話学校講師リンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害した疑いで指名手配を受けた、市橋達也は2年7カ月逃亡した。
鼻翼を左右から縫い縮める整形手術を、障害者用の公衆トイレで自分で行い、四国でお遍路などをしながら逃亡した。
大阪で住み込みで解体現場や建設現場で働きながら稼ぎ、しばらくの間、沖縄の無人島オーハ島で、魚や蛇、ヤシガニを取って食べたり、野菜を栽培するなどして生活するということを繰り返すという逃亡パターンを確立。2009年11月10日、沖縄に行こうとしていた、大阪南港フェリーターミナルで逮捕された。

逃亡生活の苦しさは、かつての革命戦士も同じだ。
1980年代、火炎瓶を黒色火薬で飛ばす“ロケット弾”を、皇居やアメリカ大使館に打ち込んだ、戦旗・共産主義者同盟という過激派があった。
13年間の時効成立まで逃げ切った2人は、焼き芋屋、竿竹屋、飯場に住み込んでの労働などで食いつないだ。
そんな苦しい2人の逃亡の歳月の間、組織は変わった。共産主義を捨て、皆で料理対決をして盛り上がる、訳の分からない環境NPOになったのだ。
組織に、時効成立を勝ちとった2人の居場所はない。
1人は特にひどく、酒浸りになりメンバーに乱暴するなど問題を繰り返した。
組織は今、アクティオという名になり、社団法人となっている。

平田信は、犯罪史上、最も幸福な逃亡者だろう。

(FY)