私たちが偶然発見した月刊『創』誌上に掲載された「東京電力」(以下「東電」と略称)の広告の事実は今、脱原発の市民運動を繰り広げている人たちの間で波紋を呼んでいる。
図書館に行って雑誌「創」(創出版)のバックナンバーをリサーチしてみると、少なくともここ10年の間(2002年から)以下の号に1ページの広告を発見した。

2002年6月号(表紙2…表紙裏のこと)
2003年4月号(表紙3…裏表紙の裏で、編集後期の横)
2003年6月号(表紙2)
2003年11月号(表紙4…裏表紙のこと)
2004年6月号(表紙3)
2005年6月号(表紙4)
2005年12月号(表紙4)
2006年6月号(表紙2)
2006年11月号(表紙2)
2007年6月号(表紙3)
★2007年7月号(表紙3)
★2007年10月号(表紙3)
2007年12月号(表紙3)
2009年5月号(表紙3)
2010年6月号(表紙3)
★2010年10月号(表紙3)
(★印は過日、ブログで報告したとおり)

知人はかく嘆く。
「これはもう、東電に籠絡されていたといってもいいだろう」(週刊誌デスク)
また、鹿砦社の松岡利康社長も「こりゃあ弁解の余地はないわな」と呆れ顔だ。

そういえば、08年から09年にかけて、東電は新聞や週刊誌、月刊誌を対象として、編集幹部クラスを熱心に接待していた。
「東電の幹部たちは、やや婉曲ぎみながらも『送電分離が議論されて電力が民間でも作れるようになるとまずい』という趣旨の話をしながら、銀座でさんざん高い酒をおごってくれたものでした。当時は何を言っているかわからなくて、何をどう懐柔したいのかよくわかりませんでしたが、今、こうして電力が議論されるようになってくると、当時、何を言いたかったのかよく理解できますね」(出版社幹部)

接待で軽くひと晩で100万円は使ったという。そう、東電様は、すでに「原発事故」のみならず、自己防御をするタイミングを見越して、着々と手を打っていたのである。
たとえば自民党の政治団体「国民政治資金報告書(07年~09年分)をリサーチしてみると、全国9電力会社の役員延べ912人が、同政治協会に合計1億1567万円の献金をしていることが明確になっている。さらに、民主党も労組「東京電力労働組合政治連盟」から約3千986万円も献金を受けていることがわかっている。東電の労組出身で、参議院比例代表の小林正夫、藤原正司のご両人は、政治団体「電力総連政治活動委員会」からそれぞれ4千万円、3千300万円も献金を受けている。

藤原はたちが悪く、自身のホームページでも、
「この震災直後、最も話題になったのが『巨大な津波を伴ったM9.0という、何千年に一度という我国未曽有のとてつもない地震によるものであること』についてである。ところが今やこのことはすっかりなりをひそめ、人々(マスコミ)は犯人さがしにやっきになる」(3月25日)
「この地震(津波を伴った)発生以降の対応に決して東電の対応が完璧だとは言わない。しかし、災害の原因を一民間企業に押しつけ何千年に一度といわれる地震と津波が今次災害の最大の原因(犯人)であることを忘れてはいけない」(3月31日)
などと、東電マネー漬けになっている御仁は東電擁護に余念がないから、呆れるのを通りこし、頭を抱えてしまう。

藤原の場合は東電と一蓮托生ゆえ、擁護に余念がないのは当然だろう。しかし、話を冒頭に戻せば、藤原と雑誌『創」がどう違うのだろうか。月刊『創』に入っていた大量の東電の広告と、『創』の記事の論調の関係はないと言えるだろうか。否と言わざるを得ない。
「所有している金銭は自由への手段であるが、追い求める金銭は隷属への手段である」と言ったのはルソーである。
『創』は、04年に『噂の真相」が休刊したときに、代替えで読む雑誌の一つとして楽しみに毎月買っていたので、感傷的になり、とてもがっかりした。ルソーではないが「隷属への手段」をとった『創』の≪過去≫には、年がらもなく、涙ぐんでしまった。

『創』の元編集者は、次のように語っている。
「広告が全く入らない『紙の爆弾』と違って、『創』は大企業の広告が少なからず入っていますから、その分楽なはずです。なのに、社員の給料は安いので長続きしません。さらにライターさんへの支払いも遅れ気味で、在職中から疑問に思っていました。サブカルライターの松沢呉一さんは3・11以前から、東電の広告が入っているのは問題だとおっしゃっていましたが、今から思えば卓見でしたね」

ちなみに図書館では、『週刊新潮』『週刊文春』はじめ、週刊誌にも多数の東電広告を見た。いずれ、機会があればこれらの腐ったメディアにもメスを入れるつもりだ。
2月23日のこのブログでも紹介したが、福島の被災者が言った、「本来であれば、東電に広告をもらっていたメディアなど、なんにも言う資格はない」という言葉を『創』篠田博之編集長に再度捧げよう。

(渋谷三七十)