先日は嫌われるライターの記事もあった。ちょっと危険であるが、嫌われる編集者について書いてみたい。出版界にはまだまだ驚くような編集者がいて、本当に今は出版不況なんだろうか、と首を傾げてしまうことがある。
まず、一緒に酒を飲むと、必ずライターの家に泊まる編集者がいる。家が東京の郊外にあるのなら、泊まること自体はしかたないだろう。
だが、翌日会社に行かないのは、いかがなものか? 会社に電話をして、「今日は六本木でカメラマンと打ち合わせして、青山でデザイナーと打ち合わせするんで、出社できないんでホワイトボードにそう書いといて」と言い、仕事をする私の横で、夕方まで寝ているのだ。夕方になって起き出して、「今日はどこに行きましょうか?」というのだから、スケジュールはメチャクチャになってしまう。
しょっちゅう泊まっているのだから家族同然のつきあいと思っていたが、私は彼の結婚披露パーティにも呼ばれなかったし、新居にも招かれたことがない。
贈り物に対する態度でも、編集者には差が現れる。
まず、感服した編集者の例を書こう。
多くのライターが同じだと思うが、私もお歳暮お中元などは基本的には贈らない。「仕事ください」とねだっているように見えるし、それで相手にも負担になってしまう。相手への感謝の気持ちは、仕事の質で返すのがプロだろう。
だが、つきあいのある出版社のほうから先に、お中元が来た。この会社はこのような慣習を重んずる会社なのだなと思い、こちらからも編集長にお中元を贈った。すると編集長からお礼の葉書が来た。それだけでも丁寧な方だと思ったが、続けて、編集長からも返礼のお中元が来たのだ。これには、恐縮してしまった。
嫌われ編集者は、電話を掛けてくる。
「お歳暮ありがとう。こういうの多いから、そのまま人にあげちゃうからさ。ブランデー2本セットだったけど、次から同じ値段で1本のにしてくれるかな? そしたら、もう少し格好つくんで、よろしく」
人の紹介にも、差が現れる。
ライターやカメラマン、イラストレーター、デザイナーなどをまとめ上げて本を作る編集者は、人を媒介するのが仕事。優秀な編集者は、こちらの世界を広げてくれる者を紹介してくれる。
だが、嫌われる編集者は違う。
「彼女、ライター志望で有能だから、次の企画でアシスタントとして使ってみたら」などと、若い女性を紹介してくる。
だが結局は足手まといになるばかり。よくよく聞いてみれば、彼女はその編集者の恋人。そんな仕事ぶりでも、会社の金でギャラを払ったのだ。
そういえば、ギャラのキックバックを求めてくる編集者なんていうのもいた。
そして、いまだにいるのが、女性ライターに「本を出してあげよう」などと持ちかけて、体をいただいてしまう編集者だ。フィニッシュは顔射だというのだから、始末に負えない。
そして、このブログでは東電と癒着しているマスゴミを追求しているわけだが、企業にたぶらかされ読者を見失う編集者が最悪であることは、言うまでもない。
(FY)