死者に対して「生きている」として埋葬しなかった事件は、「ライフスペース」「加江田塾」など少なくない。
東京都小金井市の民家で4月2日に見つかったミイラ化した男性医師の遺体について、長女(61)と次女(58)は「父はまだ生きている」と話した。長女は周囲に「自分には霊能力がある」と話しているが、一部が白骨化した遺体には、酸素吸入器が取り付けられ、点滴の針も刺されていたという。
男性医師は存命なら、88歳。警視庁小金井署が司法解剖した結果、遺体は死後約2年が経過しており、病死の可能性が高いことがわかった。男性医師は約15年前に引退。長女が診療所の後を継ぐとの意思を医師会側に伝えていたが、長女は名前だけの幽霊会員で、この2年間は診療も全く行っていなかったという。
事件の解明が待たれるが、思い出すのは、死体を「生きている」とした遺体カルトの数々だ。
遺体カルトが登場するのは、1980年代中頃からだ。
自分には猿田彦の神が乗り移っているいう、50代の女性が事件を起こしたのは、福岡県の北九州市。「そなたは猿田彦の神の子である」と宣ったという。
小学校教諭をしている、46歳の女性信者がいた。祈祷によって治してもらおうと、糖尿病を患う母親を彼女がマンションに連れてきたのが、1985年11月下旬。母親も住み込んで祈祷を受けていたが、12月8日、頭痛を訴えて倒れ込み、病院に運ばれることもなく、死亡してしまった。
1987年1月には、信者の35歳のシングルマザーが、自宅で男児を出産する。祈祷師は、その子は猿田彦の神の子だと言い、赤ん坊を自分のマンションに連れ去った。ミルクを与えずに、水、リンゴジュース、おも湯などを飲ませ、1カ月ほどで、男児は死亡する。発覚時にはミイラ化していていた。
その年の3月、祈祷師の元を訪れた女性は、糖尿病、腎不全を患い、週二回通院し血液透析などを受けていた。祈祷師から、病院では治らないと言われるがままに、女性は通院を止める。5月16日に、自宅で死亡した。
3人が死亡したのだが、祈祷師は軽犯罪法違反と死体遺棄罪で、書類送検されたのみだった。まだ遺体カルトは珍しく、蘇生を信じて善意で祈祷を行っていたと解釈されたのだ。
代表高橋弘二の「これが世界の定説です」「グルとはトマト、えび、蕎麦。これらを少量ずつ味わいながら死んでゆくもの」「自分は体に血が一滴も流れていない。ということは死人である、死人が出廷する義務はない」などの珍妙な言葉でも話題になったのが、「ライフスペース」。
早稲田大学在学中からセミナーに通い続けていた1人の青年は、高橋に心酔し、ライフスペースの幹部的存在となっていた。その父親(66歳)が1999年6月23日の深夜、高血圧性脳内出血を起こして入院する。命に別状のない状態だった。高橋は秘書を通じて、「病院のおもちゃにされてしまうぞ」「このままでは見殺しだからね」と退院を勧めるメッセージを送った。
青年は父親を病院から連れ出し、成田空港近くのホテルに運んだ。7月3日の早朝に、父親は呼吸を停止した。「今、魂が再生に入っているんです。生まれ変わる時なんです」と高橋は言って、死を認めなかった。
2005年7月4日、最高裁は「医療措置を受けさせる義務があったのに、放置したのは殺人罪に当たる」として、懲役7年の判決を下した。
宮崎市の「加江田塾」で、児童と生後間もない乳児2人が、ミイラ化した遺体で見つかったのは、2000年1月20日。愛のエネルギーを送り、取り憑いた悪を取り除くという「波動療法」で治すとして、病気の子供に医療を受けさせなかったのだ。代表と会計幹部に2003年、最高裁で懲役7年の刑が確定した。
2000年1月には札幌で、84歳の男性がミイラ化して見つかる。同年5月の熊本では、1歳8カ月の幼児がミイラ化していた。同年8月、大阪府泉南市の民家では、5人の成人男女がミイラ化。平成13年3月、埼玉県大宮市では、老夫婦が腐乱死体で見つかった。2002年10月、福岡市では、紙おむつでくるまれたミイラ化した女性の遺体。2007年4月、福岡県大牟田市では1名がミイラ化、4名が白骨化して見つかった。
信者がいるケースもあるが、家族だけで自分たちの神を信じていたケースもある。
小金井の事件では、なすべき治療を怠った上での死なのかどうかは、まだ分からない。
蘇生を信じて祈るのではなく、遺体に酸素吸入器が取り付けられ、点滴の針も刺されていたのだから、新種の遺体カルトと言っていいだろう。
(FY)