「東大を卒業して、うちの会社でトラックの運転手やってるのもいるよ」
大手の運送会社に勤めている友人が言った。
警備会社に勤める、別の友人は言う。
「早稲田を卒業してうちに入って、母校の警備をしているのがいるよ」

就職難が、極めて厳しいレベルまできている、ということなのだろう。
東大を出ているなら、以前なら最低でも学習塾の講師になれたが、少子化でマーケットが狭くなっている。教える技術や子供への好感度など、東大というブランド以外のものが必要だ。

東大を卒業してトラック運転手になったというのは、一般的にはバッドニュースだろう。進学塾の広告に、「なんで私が東大に?」というキャッチコピーがあるが、「なんで私がトラック運転手?」という気分か。

しかし、単にバッドニュースと捉えるべきなのだろうか?
就職できなかった大学生が取りうる道は、大学院への進学、留学など様々ある。
それができる経済的余裕がない場合は、「就職させない社会が悪い」として、引きこもってしまうというのも手だ。
しかし、その彼は、目の前にその仕事がある、ということで、トラック運転手になった。
いいことではないか。

私自身は、自分から大学を中退してしまったため、一般的な意味での就職は望めなかった。
生活していくために、工場で働いたり、トラックの運転手をしたりもした。
運転しながら語学や、文学朗読のカセットテープを聴いた。車を停めて本を読んで、いつも「ちょっと渋滞してまして」と言い訳した。

当然のことながら、今になっても自分には知らないことが多い、と思っている。
中退などせずに、もっと勉強しておくべきだったのではないか、という思いが心をよぎることがある。
だが、働きながら得た知識は血肉になっているし、精神の根強さが培われたのではないかと思う。
結局は、それでよかったのだ。

多くの人々が、大学というのは、よい就職をするために通過点と思っている。
大学を純粋に学問をする場と考えたなら、東大卒のトラック運転手もいいのではないか?運転席で、活きた学問を続ければいいのだ。
それからの道は、様々にある。現場の苦労を体に染ませて、会社の責任ある立場に就くのもいい。お金を貯めて留学するなり、ワーキングホリディで海外に出て行くのもいい。
そうやって得た知識や技能は、自分のためにも社会のために役立つものになるに違いない。

(FY)