ツイッターやブログで犯罪自慢をして炎上する、という事件が後を絶たない。
それに対して、善行自慢はほとんど見かけることはない。日本人は奥ゆかしいから? だが、美味しいものを食べた、有名人に会った、旅をしたなどの自慢は溢れている。善行する人が奥ゆかしいから書かないのだろうか?

善行自慢は、もっとあっていい。善行は人のためになるだけでなく、したほうもスキッとする。その感覚を共有することは、悪いことではないだろう。

ということで、隗より始めよ、で善行自慢をしたい。
私は疲れていた。膨大な資料を読んでいて、たかが金が欲しいというだけで、人間はこれだけのことをやるのかと呆れ、心がへたれていた。
旅に出たいくらいだが、そんな暇はない。数時間のささやかな小旅行を楽しもうと、荒川線に乗り込んだ。都内で数少なくなった、路面電車だ。様々な街を間近に見ながら、トコトコと走る路面電車は、それだけで心癒される。天然温泉に入って、また路面電車に乗って帰ってこようと思った。

夕方で仕事帰りの人々も多く、乗客は多かったが、なんとか座ることができた。
2駅目で、白い杖をついた、若い男性が乗ってきた。空いている席はない。私はとっさに立って、「どうぞ、座ってください」と言った。「ありがとうございます」と男性は座った。

ああ、よかった、と一気に疲れが吹き飛ぶ。困難を抱えて、静かにひたむきに生きている視覚障害者と、一時でも繋がったということが、大きな喜びとなる。

視覚障害者に席を譲ることは、簡単なことではない。空いている席は見えないのだから、手で触れるなどして誘導しなくてはならない。これまた自慢になってしまうが、障害者とのつきあいに慣れているから、私にはできたのだ。

だが考えてみれば、他の乗客が席を譲らなかったのは、どうやって視覚障害者を誘導したらいいか分からないからであって、決して善意が欠けている、というわけではないのだろう。

視覚障害者を誘導するには、手を掴んで引いてはいけない、自分の腕に捕まらせる、など留意点がある。
映像で見せられれば簡単に理解できると思うが、なぜテレビでそれを教えないのだろう。街に出れば、いつか必ず必要になる知識だと思うが。
愚にも付かない番組ばかり流していて、「電力が足りなくなる」は、ないだろう。

(FY)