あれほど、世間で騒がれているのに、いまだになくならない振り込め詐欺。オレオレ詐欺とも呼ばれるが、最近は手口が巧妙化していて「オレオレ」とは言わないらしい。個人情報を調べておいて、「斉藤純一郎さんですね。お父さんの雅也さんが事故を起こしました」などと警察を装ってかけてきたりする。被害者もお年寄りばかりではない。
歌は世につれ世は歌につれ、と言うが、詐欺も世につれる。世相を反映する。振り込め詐欺の横行は、今が不安と孤独の時代であることを現している。
今よりもずっと景気のいい頃、詐欺に遭ったことがある。詐欺に遭う人々の例に漏れず、自分が詐欺などに騙されるはずがない、と思いこんでいた。
詐欺に遭う時というのは、不思議な符合があるものだ。
その頃、たまたまなのだが、ドストエフスキー『賭博者』と、末井昭『素敵なダイナマイトスキャンダル』を読んでいた。
ドストエフスキーのギャンブル狂は有名だ。伝説の編集者、末井昭も競馬場に50万円持っていって、100万円に増やして帰ってくるという、ギャンブラー。
自分はライターなのに、ろくろくギャンブルもやったことないのは、どうしたもんだろうかと、ちょっと悩んでいたのだ。
新宿を歩いていると、向こうから歩いてきた男が「よお」と声をかけてきた。知らない男だ。きょとんとしていると、男は言う。
「オレだよ。ナベちゃんとこのペンキ屋の川田だよ」
ナベちゃんと呼ばれる渡辺という男は、大学の先輩にいる。けっこう世話になった。ナベちゃんは、家業の家具工場を継いでいる。ペンキ屋がいてもおかしくない。
知らないと言うと失礼なので、「ああ、どうもどうも」と調子を合わせる。
「なあ、今時間あるんだろ。ちょっと競馬やってかないか? 今日は、いい情報が入ってきてて、すごい当たるんだよ。ラーメン屋のオヤジとか、儲かってすけえ喜んでるよ。次のレースで来るやつ教えてやるから、ちょっと書けよ書けよ書けよ」
川田の言う、3‐7、3‐8という数字を、持っていた文庫本の裏に書く。
「ここじゃやばいから、ちょっとこっちこっち」
川田についていくと、ビルの1階の休憩所のようなところ。小太りの中年男が座っている。
「この人、ラーメン屋のオヤジ」と川田が紹介してくれる。
「初めまして、岸本です。今日は川田さんのおかげですごい儲かっちゃって」
岸本はカバンを開いた。札束がぎっしり詰まっている。ざっと、100万円くらいあるだろうか。
「もう、レース始まっちゃうから、オレが馬券買ってきてやるよ。いくら持ってるんだ?」と川田。
「じゃあ1万円分くらい、お願いします」
今から考えると、この頃はまだまだバブリーだった。1万円くらいすってしまっても、いい勉強になる、と思ったのだ。
「1万円くらいかけたって、しょうがねえじゃねえか」
川田は開いた財布に手を突っ込んで、3万円をひったくっていく。
「おい、なんだよ」
「盗るんじゃねえんだから、これが何倍にもなるんだから」
「それでも足りないくらいだろ。オレが5万立て替えといてやるよ」と岸本。
「そうだな。当たったら、ありがとうって返せばいいんだから」と川田。
「じゃあ、あそこの喫茶店で待っててくれよ」
そう言って、川田は走っていく。
喫茶店に行く途中で銀行に寄り、立て替えてもらった5万円を岸本に渡す。
喫茶店で待っていると、川田が馬券を買ってきた。
「やっぱりよ、もうちょっと固めといたほうがいいよ。3‐1、3‐2、3‐4、3‐5、3‐6も買っとこう」と川田。
「じゃあ、おれは30ずつ買っとくよ。あんちゃんも、20ずつ買っとけよ。また立て替えといてやるから」と岸本。
「いいですよ、そんなには。10ずつでいいですよ」
もう完全に、金銭感覚が狂っている。また別の喫茶店に移動。その途中で銀行で金をおろし、立て替えてもらった50万円を岸本に渡す。
喫茶店でラジオを聴く。レースが始まった。3番は最初出遅れたが、次々に抜いていき、先頭に迫る。だが、カーブで先頭に躍り出ようとしたところで、落馬してしまう。58万がパァーになった。
しばらくして、川田が戻ってきて、頭をかいた。
「堪忍してくれな。落馬とはなあ。まいったなあ。まあ、次のレースで取り戻そう」
落馬さえなければ、勝っていたのだ。情報そのものは正しかったのだ、と思った。
今度は、30万をぶち込んだ。結果はご想像の通り。88万が泡と消えたのだ。と、まだ動転していたその時は思ったが、冷静になってから考えてみれば、札束の入った岸本のカバンを膨らませたのだろう。
川田と岸本は、がっかりした表情を作っていたが、心の中はほくほくだったろう。
これは、「コーチ屋」という詐欺だという。
今ではもう流行らない手法だろう。なんだか、懐かしい。
(FY)