仮想通貨取引所を運営するコインチェックは1月26日、顧客から預かっていた仮想通貨約580億円分が流出したと発表した。同社にかぎらず各種仮想通過でのマネーゲームをすでに多くの人が利用をしているが、ハッキング等盗難・消失被害を完全には避けられないのが現状だ。

コインチェックHPより

和田晃一良=コインチェック社長(コインチェックHPより)

コインチェックHPより

2016年に成立した新資金決済法の下では、仮想通貨は「物品を購入し、若しくは借り受け、又は役務の提供を受ける場合に、これらの代価の弁済のために不特定の者に対して使用することができ、かつ、不特定の者を相手方として購入及び売却を行うことができる財産的価値であって、電子情報処理組織を用いて移転することができるもの」又は「不特定の者を相手方として相互に交換を行うことができる財産的価値であって、電子情報処理組織を用いて移転することができるもの」と定義されている。

仮想通貨は文字通り「仮想」の通貨、その価値の変動や場合によっては破綻してもそれを担保する責任母体はあくまでも民間企業(あるいはその連合体)であり、その点で各国が発行する一般の通貨とは、原則的に性質が異なる。

電子マネーの普及もますます進んでおり、中国ではスマートフォンを使って、自転車を共用するサービスが数年で主たる都市部に普及したという。過日はアマゾンが米国で無人のスーパーマーケットを開業し、商品を購入に際してレジが無い店舗が運用され始めたそうだ。電子マネーは電車に乗る際に、自動改札の指定された部位に、残高がチャージされたカードをいれた財布やスマートフォンをタッチする方法が、この国でもかなり以前から導入されているほか、各種店舗で利用可能なカードが普及しているので、利用している人にはその使用が日常的になっているだろう。

◆基本性格が異なる仮想通貨と電子マネー

似ているようで、まったく基本性格が異なるのが仮想通貨と電子マネーだ。いまのところ、電子マネーについて、その信用を根底から揺るがすような大トラブルは発生しておらず、今後もますます電子マネーの利用は増加の一途をたどるだろう。悪質なサイバー集団が大手電子マネーの決済に介入し、窃盗や横領を働いたというニュースは聞こえてこない(もっとも電子マネーをチャージしたカードやロックをかけていないスマートフォンを紛失してしまい、それを誰かが拾って使ってしまう、といった程度のトラブルはかなり発生しているようだが)。

他方、仮想通貨につては、冒頭記事でご紹介したように「取引所」の安定性が疑わしく、購入はしたものの換金を求めたら「取引所」が閉鎖されていたり、何者かによって本来は自分が保持しているはずの相当額が、奪われてしまうといったトラブルが頻発している。

仮想通貨を利用される方は、それなりの知識があって仮想通貨の産む、利益(投機性)や利便性を理解されてうえで購入をされているのだろうけれども、いかんせ民間企業が造り出した「仮想の価値」である。大きなトラブルが起きても、金融庁や警察は一応の対処には乗り出すだろうが、にせのお金(贋札や偽硬貨)が発行されたケースのように本気になっての対応は期待できないだろう。

日本の紙幣は極めて高度な技術で印刷されているので、カラーコピーを使ってお札を真似た贋札を作り、摘発される事件がまれにある程度だ。1982年に500円硬貨が発行された直後は韓国の500ウォン硬貨(当時のレートで500ウォンの価値は約50円と大きさが似通っていることから、細工をこらした多量の500ウォン硬貨が自動販売機などで悪用される被害が発生したが、2000年に500円硬貨の形状変更により類似の犯罪は激減した。

◆仮想通貨は何に「信用」を置いているのか?

さて、貨幣(お金)は信用に基づいて流通し、商品やサービスの購入の対価として用いられるが、それは大前提に「信用」があってのことである。仮に正式な国家が発行している通貨でも、その国の信用が低ければ、他国の通貨との交換が拒否されることは珍しくない。今日多くの海外からの旅行者が増え、たとえばみずほ銀行では18の通貨両替を行っているが、30年ほど前に日本国内で正式にタイバーツやインドネシアルピーを両替することはほとんど不可能だった。国同士相互の信頼関係や商取引が増すと信用もそれに連なり上昇してくるのだろう。

そう考えると、仮想通貨はなにに「信用」を置いているのか、という基本的な疑問にぶつかる。そもそも都道府県や市町村が発行する「地域限定」の「振興券」(多くの場合は購入金がよりも多額な価値が付与されている)のほかに、民間企業が「通貨」を発行することが許可されるのだろうか。通貨ではなく「株券」や「上場投資信託」といった名称を用いれば企業が有価証券を発行することは当然認められている。「図書券」、「ビール券」や「お米券」、デパートで商品購入が可能な「商品券」などはかなり昔から販売されていたし、ITunesやネットサービスに特化した有価証券もコンビニエンスストアでも販売されている。それらには安定的に供給されるサービスへの「信用」が基礎にあるので、利用者が定着するのだろう。

仮想通貨はどうやら、まだ「図書券」程度の安定性も確立されていないようだ。新資金決済法での仮想通貨の定義も「これこれができる」と外観を述べているだけで、その信用保証についての言及はない。当たり前だ。国は正式な貨幣を供給する唯一の権限を握っていて、それ以外の有価証券や決済サービスなどが貨幣経済を上回ってしまえば、国家存立の根源に関わる問題になる。その原則を考慮すれば、仮想通貨にはこの先も必ずリスクが付きまとうのは宿命だと考えた方がよさそうだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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1月27日、28日2夜連続で放映されたNHKスペシャル「未解決事件File 6 赤報隊事件」を観た。結論から言えば、期待外れだった。(新)右翼犯行説、宗教団体犯行説は当時からさんざん言われたことで目新しい事実はなかった。宗教団体犯行説、途中で上層部から取材打ち切りの指示が出たが、なぜ打ち切りなのか、それ以上の追求はなかった。新たに判ったことは、デジタル的手法を駆使して、幾つか出ている犯行声明文がおそらく同一人物によって書かれたのではないかということぐらいだろうか。国営放送という制約があるのかもしれないが、ここでは具体的には言わないが、もっとディープな取材が欲しかったところだ。

NHKスペシャル「未解決事件File 6 赤報隊事件」

「赤報隊事件」とは、1987年5月3日、憲法記念日、兵庫県西宮市に在る朝日新聞阪神支局が「赤報隊」と称する何者かによって銃撃され、小尻知博記者が死亡、犬飼兵衛記者が重傷を負った事件で、その後も名古屋支局寮、静岡支局などが攻撃されている。

当時から「言論への挑戦」と叫ばれ続けて来たが、時効を迎え、今に至るも未解決のままだ。もう31年も経ったのかと溜息がする。

27日放映ではドラマ仕立てで、樋田毅記者が主人公的存在で、草彅剛が演じている。樋田毅という名は実名で、脇役的存在の辰濃哲郎記者も実名だ。実はこの2人の記者に私も取材を受けている。辰濃記者には本も貸している。朝日新聞にはあと2人、計4人の記者に取材を受けた。他社の記者にも取材を受け、合計23人の記者に取材を受けていると第二弾の『謀略としての朝日新聞襲撃事件』に記載されているが、さらにその後も新たに数人の記者の取材を受けていることも記録されている。そうした中のひとりで当時毎日新聞の阪神支局にいた鈴木琢磨記者は、その後、『サンデー毎日』記者、編集委員となり、朝鮮問題専門家としてテレビでもたびたび登場している。

なぜ、私がこれほど多くの記者に取材を受けたかというと、前年に、28日の放映分にも登場している鈴木邦男氏が主宰する新右翼団体「一水会」の機関紙『レコンキスタ縮刷版1‐100号』を出版し、鈴木氏、及び周囲の新右翼関係者との関係を聞き出したかったからだろうと思われる。鈴木邦男氏とは、その数年前、当時装幀などを担当してくれていたFさんの紹介で知り合い、その頃、鈴木氏や配下の木村三浩氏は新右翼の超大物・野村秋介氏についてよく来阪していたが、それに同席させていただき、野村氏との知己も得た。

私は1977年に西宮に来て、85年から独立し西宮にて事務所を構えていた。阪神支局には自転車で15分くらいの位置にあった。鈴木氏は以後、私が以前に新左翼党派「赤報派」(RG[エルゲー]とも言われていた)と接触があったことを針小棒大に面白おかしく採り上げ、雑誌『Spa!』の連載で「爆弾の松岡」とか揶揄し、あたかも私が赤報隊であるかのような書き方をしている。

『テロリズムとメディアの危機 朝日新聞阪神支局襲撃事件の真実』(1987年)

私は地元西宮で起きた事件でもあるので、この「デジタル鹿砦社通信」管理人&『NO NUKES voice』編集長の小島卓君と共に、私たちなりに取材を始めた。それは『テロリズムとメディアの危機--朝日新聞阪神支局襲撃事件の真実』として緊急出版された。この際、2人で朝日阪神支局に取材に赴いたところ、けんもほろろ追い返された記憶がある。朝日は、大衆に対しては上から目線で取材を求め、逆に私たちのような小出版社からの取材に対しては拒絶する体質のようだ。これは今も続いている。朝日からは、のちの「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧事件などたびたび煮え湯を飲まされたが、ここでは触れない。

私が一番違和感を覚えたのは、自社の記者が殺されたにもかかわらず、朝日主催の夏の地元・甲子園球場(意外と間違う人が多いが、甲子園球場は西宮に在る)で行われた、その年の高校野球で黙祷の一つもなかったことだ。阪神支局の方々は、この時期、高校野球の取材などに忙殺されるというが、この時の支局の方々の気持ちはいかばかりだったろうか。

その後、不思議なことに、1年ほどしたら、阪神支局員全員が他の部署に異動している。記憶が曖昧だが、大島支局長はどうだったか、おそらく最後に異動したと思う。

「警察よりも早く犯人をあげる」と意気込み事件取材を指揮していた柴田鉄治大阪編集局長の更迭→関係会社への異動は特に首を傾げさせる出来事だった。

『テロリズムとメディアの危機』は、私にとっても初めて、身近で起きた現実の事件についてまとめた本だし、小島君もそうで、初めて2人で作った本だ。日本図書館協会、全国学校図書館協議会の推薦図書にもなった。赤報隊事件から31年なら、小島君との付き合いも31年ということになる。このかん、いろいろなことがあったな。

西宮には、この前に「グリコ・森永事件」(1984年)があり、もっと前になるが「甲山事件」(1974年)があった。私にとってこれら3つの事件は、小なりと雖も出版人としては生涯の関心事だ。いつか現場や関係箇所を歩き回り、一冊にまとめてみたい。

当時から言われた「言論への挑戦」、果たしてこれに対し(朝日を含め)どれだけのメディアと報道人が体を張って闘っているだろうか? 大いに疑問だ。「言論への挑戦を許すな」と言うのは簡単だ。しかし、大事なのは日々どういうスタンスを持って言論活動に携わっているかだろう。権力のポチになっていないか!? 脚下照顧、あらためて反省しなければならない。

『謀略としての朝日新聞襲撃事件 赤報隊の幻とマスメディアの現在』(1988年)

久し振りに、上記に挙げた『テロリズムとメディアの危機』、そして続刊の『謀略としての朝日新聞襲撃事件』を紐解いてみた。31年前の目まぐるしい事件の転回や、私たちなりに真正面から事件に取り組んだことなどが想起された。

まだメジャーになる前の高野孟氏と、まだ共同通信記者時代の浅野健一氏が対談をやっている。高野氏は、グリモリ事件同様「日本の中での関西特有の一種の地下構造というものとの繋がりのところで出て来てる問題」と指摘している。他にも、多くの方々が質問に答えてくださっている。かの奥崎謙三氏もいる。

おそらく朝日上層部や、樋田記者ら特別チームは、当時の大島次郎(故人)支局長にもかなり詳しく話を聞いているはずだから、大島証言がなぜ公にならないのか不思議でならない。このように、朝日は本当に取材した情報をどれだけ公にしたのだろうか? これは当時から他社の記者も言っていることで、朝日の秘密主義が問題の解決を遅らせた、いや、今に至るも未解決のままに至らしめたといえないだろうか?

思い返せば、朝日新聞阪神支局襲撃事件以来、言論をめぐる情況は変わった。大きく変わったことは、メディア自身の委縮、知っていながら報道を控えることではないだろうか。

かの本多勝一氏でさえ、事件の同年末で、月刊『潮』で連載していた「貧困なる精神」を「さらに厳しい自粛令が改めて出ましたので、忠実なサラリーマンとして私はこれに従います」として連載を打ち切った(その後、本多氏は朝日を退社し『週刊金曜日』を起ち上げるのだが、在社中に徹底抗戦してほしかったところだ)。こうした意味では、この事件は、赤報隊の「言論への挑戦」という目的を、はからずも果たしたといえよう。遺憾かつ残念なことだ。

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点

◆ はじめに
 
2016年9月、大阪市西成区の居酒屋「集い処はな」で桜井昌司さん(布川事件の冤罪被害者)のお話を聞く会を開催しました。小柄な桜井さんは、店の奥で立ったまま話されました。その姿が店の外から見えたのか、途中40代半ば、ラフな短パン姿の見知らぬ男性が突然入ってきて「さくらいさん、ですよね」と確認するように尋ねてきました。それが盛一さんと桜井さんが出会うきっかけとなりました。

男性は石川県出身の盛一克雄(もりいちかつお)さん(47才)と自己紹介し、自分も刑事事件で有罪判決を受けたが冤罪であること、桜井さんのように再審で無罪を勝ち取りたいと熱心に訴えました。有罪判決を受けたあと、職も家族も失い、また地元に居辛いいため、ときおり西成(釜ヶ崎)の安宿に泊まり、1日中、冤罪関連の書籍を読んだりし、どうやって再審を闘えばいいか考えていた。

店の前を通った直前も桜井さんのインタビューの動画を視聴していたため、桜井さん本人に会えたので非常に驚いたと興奮気味に話し、桜井さんに協力して欲しいと訴えました。その後、和歌山カレー事件や狭山事件など冤罪事件を支援する仲間、桜井さん、青木恵子さん(東住吉事件の冤罪被害者)とともに「盛一国賠訴訟を支援する会」を作りました。

盛一さんのデッチ上げ事件発生からこれまでの経緯をまとめました。

◆ 覚せい剤事件のでっち上げと検面調書の非開示
 
2014年3月19日、盛一さんの自宅などに石川県警の家宅捜索が入り、盛一さんは覚せい剤譲り渡しの疑いで逮捕されました。

しかし盛一さんの自宅、会社、盛一さん所有の車両などから覚せい剤は見つからず、覚せい剤譲り渡しについては不起訴となりました。そのご、逮捕後の尿検査で覚せい剤の陽性反応が出たとして覚せい剤使用で再逮捕となりました。

盛一さんは覚せい剤譲り渡しも覚せい剤使用も身に覚えがないため、逮捕後ずっと「やっていない」と否認を続けていました。そのため、接見禁止(弁護士以外は面会できない。のちに母親も許可)のまま400日も拘留され続け、その間に妻や子どもとは離別を余儀なくされ、また盛一さんが代表を務めていた木材会社を失う羽目となりました。

盛一さんは、自分がなぜやってもいない事件をでっちあげられたかを知るため、公判前整理手続きで検察の持つ証拠を開示させました。まず初めに、盛一さんが逮捕される約10ケ月前、覚せい剤使用で逮捕、起訴、のちに有罪判決を受けたA(女)の「員面調書」(警察署で作成される調書)が開示されました。そこには「盛一がB(男。Aの恋人)に覚せい剤を売り渡す場面を2回見た」と書かれていました。しかし盛一さんはAに1回しか会っていないし、Bに覚せい剤を売り渡してもいません。そこで次に盛一さんは、Aの「検面調書」(検察庁で作成される調書)の開示を求めましたた。すると担当検事は「Aが拒んだから、Aの検面調書は存在しない」と返答してきました。

◆「検面調書は存在しない」は検事のウソだった

2015年4月23日から始まった盛一さんの公判で、盛一さんはAを証人として呼びました。そこでAは「盛一さんとは1回しか会っていない」と員面調書の内容(盛一と2回会った)を否定し、「検面調書を拒否した事実はなく、検察庁で検面調書を作成した」と驚くような証言をしました。

しかし残念なことに、2015年5月1日、盛一さんは金沢地裁で有罪判決(懲役2年、執行猶予4年)を受け、すぐに控訴しましたが、2015年10月15日、名古屋高裁金沢支部は控訴を棄却し、有罪判決が確定しました。

納得できない盛一さんは、2016年3月、Aの訴訟記録を閲覧し、そこでAの検面調書が存在していたことを知り、うち3通を入手しました。これを手掛かりに何とか無実を証明出来ないかと考えた盛一さんは、今回の国家賠償請求訴訟を起こし、闘いの一歩を踏み出しました。

そして2017年11月24日、金沢地裁で、盛一克雄さんを原告とする国家賠償請求訴訟が始まりました。

この訴訟は前述したように、2014年、盛一さんが覚せい剤使用で逮捕、起訴され有罪判決(懲役2年、執行猶予4年)を受けた刑事事件について、実際には存在した証拠の開示を求めていたものの、担当検事により「存在しない」とされたため、盛一さんの防御権の行使が妨げられたとして、国家賠償法に基づく損害賠償請求をするものです。

◆ 事件の本質は「警察の闇」を知る盛一さんへの口封じ
 
では、なぜ盛一さんは、こんな酷い目にあうのでしょうか?

実は盛一さんは、若い頃、石川県警の捜査協力者をやらされていた過去があります。警察署で、何も書かれていない真っ白な調書に署名、捺印させられたことが何度もありました。石川県警は盛一さんの署名、捺印した真っ白な調書で虚偽の調書を作成し、それを第三者の逮捕状や家宅捜索連所を請求するときの資料としたと考えられます。

しかし、ある暴力団の抗争に使われた拳銃が、石川県内の某所にあるとして家宅捜索された事件で、盛一さんが署名、捺印した調書が使われたことがあり、その裁判の過程で盛一さん自身が証人として呼び出されそうになったことがありました(結果は中止となりました)。

盛一さんは自分を危険な目にあわせる石川県警に抗議するとともに、以降警察との関係を断つようになりました。また、自分が行ってきたことは間違いと気づき、後日、周囲に「覚せい剤事件などで警察は虚偽の調書を作成して、裁判所から令状を発布させることが多くある」と話したりしました。このような、警察が最も隠したいことを、他人に漏らした盛一さんを口封じする目的で、今回の「逮捕」があったのではないでしょうか。

なぜそう考えるのか? じつは、盛一さんが逮捕後、連行された警察署内の取り調べ室で、扉越しに「バーカ、アホがっ!」と怒鳴る刑事がいました。盛一さんが過去に警察の協力者をやっていた際、何度も飲食をともにした刑事です。

盛一さんは、かつて警察の捜査協力者であったことを深く反省するとともに、警察の違法な捜査や検察の証拠隠しで冤罪が作られることを断じて許してはならないと考え、闘いの一歩としてこの国賠訴訟を起こしました。

この闘いには、冤罪被害者である桜井昌司さん、青木恵子さんも支援を表明され、第一回口頭弁論後の記者会見で桜井さんは「盛一さんの事件は、私や青木恵子さんの無期懲役事件とは違い小さな事件のようだが、警察、検察の証拠隠しを追及する非常に重要な闘いだ。今後も支援していきたい」と述べています。

全国のみなさまにも、この盛一国賠へのご支援とご協力を強くお願い申し上げます。

尾崎美代子(「盛一国賠訴訟を支援する会」事務局)

◎次回裁判◎
2018年2月2日(金)午前11:00~ 金沢地裁第202法廷

裁判終了後「味噌蔵町公民館」(金沢市兼六元町7番19号)で、
桜井昌司さん、青木恵子さん同席での「報告会」を予定しています。
こちらへもぜひご参加ください。

 

◎[参考動画]桜井昌司、青木惠子が冤罪仲間の盛一克雄の支援を表明(寺澤有2017年11月25日公開)
※この裁判にはジャーナリスト寺澤有さんも支援して下さり、2017年11月24第一回口頭弁論後、味噌蔵町公民館で開かれた記者会見を取材し、YouTubeに上記の通りアップされています。視聴してください。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点

猪飼剛先生(医療法人社団 湖光会 若草診療所HPより)

「伊藤さん、2診へどうぞ」
猪飼剛先生は定刻の診察時間開始前に診療所に到着して、要領よく患者さんの診察をして下さる先生でした。若草診療所の午前の診療時開始は8時40分ですが、たいてい猪飼先生は8時30分前には診療所にやってきて(早い時には8時15分頃に)、待合室の患者さんの名前を呼んでくれました。猪飼先生は診療所に毎日のように勤務されていましたが、いつも診察室は2診で、1診には曜日ごとに別の先生が待機されていました。

午前診察終了時刻の12時過ぎでも、容体が悪い患者から電話で連絡が入ると、嫌がることなく「時間外でもいいから連れてきてください」とこころよく応じてくださいました。そのおかげで、のんびりしていたら生命にかかわる重篤な患者さんが、何人も救命されたことは、地元ではよく知られていました。報道で68歳と知りましたが、お世話になりだしたころから、下半身がしっかりしていてお元気な姿は、運動を欠かさない生活に秘訣があったのでしょう。

 

滋賀県医師会長の親子、スキー場で遭難 新潟(2018年1月25日付朝日新聞)

雪の激しい新潟県のスキー場で、猪飼先生がご子息と遭難され、亡くなってしまった。そうとは知らずにいつも通りに若草診療所へ受診に訪れていたわたしは、なぜだか表情のさえない受付の女性たちが気にはなっていましたが、まさかそんな惨事に猪飼先生が見舞われているとは知りませんでした。待合室の患者さんのなかには小声で「これからどないなるんやろうね」、「ここにしか通ってないから今さらほか行かれへん」と話す人もいたのですが、それが猪飼先生の遭難事故のことを意味するとは想像もできませんでした。

1月25日の若草診療所には、なんの貼り紙も掲示もなく、いつもよりちょっと少ない患者さんが普段通り待合室に集っていました。医療法人社団湖光会と建物には書かれていますが、長年お世話になった感覚からすると、若草診療所は猪飼先生と外科の先生だけが専任で、他の先生方は曜日によって診察を受け持つ先生です。診療所の経営にはかかわっていないように思えます。本当にこれからどうなるのかなと不安になります。

それよりも、つい最近まで元気毎日のように診察をこなしていた、猪飼先生が亡くなったことが、現実のようには思えません。昨年の12月は何度も診察や相談でお世話になり、いつも的確に「はい、ほな、そうしましょう。しばらくこの薬で様子見て、また効かんようやったら来てください」とお顔をあわしていましたが、事故にあわれたのが嘘のようです。報道によればお子さんと一緒に遭難されて亡くなったようですが、この地域のたくさんの人たちが、驚き、落胆し、猪飼先生のご逝去を悼んでいることでしょう。御不幸を知ってから猪飼先生が滋賀県の医師会会長であったことを知りました。たいそうご多忙な中で、毎日診察と医師会会長のお仕事をこなしておられたのでしょう。

もうだいぶ前になりますが、知人が入院手術をしなければならなくなり、猪飼先生にその病院の評価を伺いに行ったことがありました。「院長はあかん。あの人は金儲けしか考えてへんから。でもお医者さんはみなさん真面目な人ですよ。うん。だから心配せんでもええですわ」と、ある総合病院のことを教えて頂きました。アドバイスにしたがって、知人はその総合病院に入院し、無事回復しました。気さくで隠し立てしない性格は、看護師さんに厳しいこともあったかもしれません(あくまでも想像です)。

患者にしたら、具合の悪さをしっかり聞いていただけて、素早く柔軟な対応をしていただけるお医者さんでした。早すぎる、そしてお気の毒すぎるご不幸がくれぐれも残念です。これまで猛烈にお仕事をなさった猪飼先生、安らかにお休みください。

▼伊藤太郎(いとう・たろう)


◎[参考動画]新潟のスキー客親子捜索難航 2人と連絡つかず(ANNnewsCH2018年1月25日公開)


◎[参考動画]スキー場で心肺停止の男性2人発見 救助が難航(ANNnewsCH2018年1月26日公開)

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

南北会談が行われ、朝鮮が平昌オリンピックへの参加を表明してから、韓国、朝鮮政府への論評がどうにも「冷たい」ように思う。開会式の合同入場や女子アイスホッケーが統一チームを結成することが決まると、「北朝鮮のペースに乗せられた韓国政府」、「圧力の足並み乱れを懸念」など後ろ向きの批評が新聞では主流だ。

また、米国では日本側が「北朝鮮からの漂流船が増加しているのは経済制裁の効果が表れている」との見方を示したと報道されているし、河野外相は16日カナダでの会合に出席し〈韓国 との対話に舵を切ったように見える北朝鮮の意図は、『時間稼ぎ』だと指摘しました。平昌(ピョンチャン)オリンピックを控え再開した南北対話が北朝鮮ペースで進む懸念もある 中、河野大臣はスピーチで、北朝鮮の『微笑み外交に目を奪われてはならない』と訴えました。〉と語ったそうだ。

河野外相、対話は北朝鮮の「時間稼ぎ」と指摘(TBS2018年1月17日配信)

◆「対北朝鮮圧力」をかける国々はどんな将来と結末をイメージしているのか?

では、カナダに集まり「北朝鮮圧力」を相談している国たちは、朝鮮の将来にどんな結末をイメージしているのだろうか。朝鮮の非核化は妥当な目標ではあろうけど、そのため、延々と経済制裁だけを続け、対話を一切拒否するという、河野外相=日本政府の姿勢が貫徹され、また他国も日本政府同様のファナティックな制裁で完全に足並みを揃えたらどうなるだろうか。昨年の惨状をみて断定的に語れることは、朝鮮の庶民の暮らしがより圧迫され、困窮し餓死者が増加する事態が加速するであろうことだ。

朝鮮の庶民の生活がどれほど困窮しても、朝鮮政府は外交姿勢を変えることはないだろう。そんな程度で外交姿勢を変えるのであれば、これまで幾度もあった対話の機会で、方向転換を図っていただろう。中国の後ろ盾が実質上なくなり孤立無援ともいる小国の動向に、カナダに集まった20ヵ国は少々過敏になり過ぎているのではあるまいか。制裁一方で平和裏に核問題が解決でいると、私にはどうしても思えない。

それは、この島国が「ABCD包囲網」により、無謀な戦争に突っ込んでいった歴史が証明するところでもある。どうしてパキスタンやインド、イスラエル(さらにいえば、米、英、仏、中、露)の核兵器は容認されて、朝鮮だけ世界から袋叩きにあうか。朝鮮の何万倍も核兵器を保有する米国のトランプは金正恩よりも何万倍も理性的だろうか。

◆「政治の道具」としての近代五輪はなにも平昌五輪だけでないのに……

「平昌オリンピックの政治利用」とまくしたてる「有識者」が多数見受けられるが、近代オリンピックは常に政治の道具、もしくは政治そのものと言ってもいいだろう。ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、1980年のモスクワオリンピックは日本を含め約50ヵ国がボイコットした。その報復に1984年のロス・アンジェルスオリンピックでは東側諸国が軒並みボイコットした。東西冷戦時代の出来事ではあるけれども、五輪は露骨に政治利用される。同時に表層的ながらいっときの「融和」や「「友好」を演じる舞台が五輪でもある。

1964年の東京五輪では東西ドイツが開会式で一緒に入場した。冷戦の真っただ中、まだ日本や米国が中国と国交を結ぶはるか昔、東西ドイツの合同入場は国際ニュースだった。開会式を中継したNHKのアナウンサーは、「素晴らしい、本当に素晴らしい」と絶叫している。その東西ドイツ合同入場に苦言を呈した人が、今日ほどいたのだろうか。私はまだ生まれる前の出来事なので、つまびらかではないが、少なくとも録画に残されたNHKアナウンサーの称賛ぶりは確認できる。

また、南北朝鮮のオリンピック開会式合同入場は2000年のシドニーオリンピックで実現している。当時合同入場について、この島国の中でこれほど冷淡な論評が交わされただろうか。私の記憶の限りではそんなことはなかった。2000年から2017年へ何が変わったのか。明示できる転換点は「拉致」の事実を金正日が小泉との会談で認めたことだ。逆に「拉致問題の解決、植民地支配の過去の清算、日朝国交正常化交渉の開始」を内容とする「日朝平城宣言」が2002年に交わされた事実はもうなかったかのような有様だ。

◆対話なき圧力をかける日本政府が直視すべきは「東京五輪」の背理である

「拉致」を金正日が認めたことは、大きな衝撃であった。けれどもそのために「拉致問題」は両国間で顕在化し、帰国された方もいる。以後進展が見られないが、その理由は一方的に朝鮮側だけにあるのだろうか。「対話と圧力」と言っていたこの島国の政府は、もっぱら「圧力」だけに血道をあげるようになった。朝鮮が態度を硬化させるのも無理はない。

そして意地悪ながら事実にもとづく言いがかりをつけるのであれば、朝鮮が非難の的とされたのは、この島国では「拉致問題」だけれども国際的には1983年の「ラングーン爆破事件」であり、1987年の「大韓航空機爆破事件」であった。二つの事件はいずれも朝鮮が国家として韓国の高官や航空機爆破を行った、いわゆる「テロ」事件だが、その後に行われたシドニーオリンピックで両国は合同入場しているのだ。時の韓国大統領は金大中で「太陽政策」で南北融和を図っていた。

繰り返すが、あの頃こんなにも殺伐とした「南北朝鮮」卑下の論評が横行してはいなかった。政府・マスコミから庶民に至るまで、まるで1900年頃のように「朝鮮半島」を蔑視し、見下す言説が溢れている。非常に不健全で危険極まりないと思う。「政治の道具」にほかならないオリンピックが、政治的に平和利用されるのであれば、どうしてその「光」の面を少しは評価しようとしないのか。

翻り「東京五輪」の広報と「洗脳」は日々その勢いを増すばかりだ。補修でも充分仕えた国立競技場を瞬時に取り壊し、史上最高のスポンサーを集めながら「ボランティア」を多用して「大儲け」イベントとして準備が進む「東京五輪」。福島第一原発4機爆発により政府が発した「原子力緊急事態宣言」がいまだ取り下げられない中で、堂々と進められる「東京五輪」の背理こそ自身の問題として直視すべきではないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈改憲〉国民投票と〈五輪〉無償奉仕──電通2大プロパガンダがはじまる(本間龍)掲載 『NO NUKES voice』14号 脱原発と民権主義 2018年の争点 

大阪府立懐風館高校の女生徒A子が学校の指導を不服として起こした「髪染め強要訴訟」では、マスコミがこぞってA子の応援団と化し、学校側に対する批判的な報道を繰り広げてきた。その一方、ほとんど報じられてこなかった学校側の主張も決して信ぴょう性がないわけではない。前編に引き続き、被告の大阪府が大阪地裁に提出した2015年12月11日付け準備書面に基づき、学校側の主張を紹介しよう。

◆入学当初は学校側の頭髪指導に従っていたA子

 

懐風館高校のホームページ。掲載された学校生活の写真では、髪が茶色っぽい生徒も散見される

まず、前編のおさらいをしておく。

A子はこの訴訟で「生まれつき茶色い髪について、学校で何度も黒く染めるように指導されて精神的苦痛を受けた」と主張しているが、前編で紹介した学校側の主張によると、A子の髪の地毛の色は「黒」であり、学校側はA子に対し、髪を地毛の色である黒に染めるように指導していたとのことだった。

また、前編で紹介した学校側の主張によると、懐風館高校でA子と同学年の生徒の中には、地毛が茶色であるなどと入学時に申し出た生徒が約40人いて、学校側はこの生徒たちに対しては、「頭髪を黒色に染めるように」という指導は行っていないとのことだった。この主張が事実なら、懐風館高校では、頭髪の地毛が本当に茶色であれば、髪を黒く染めるような指導は行っていないことを裏づける生徒が約40人存在する――ということになる。

そしてA子は入学早々、3人の教師による頭髪検査で「地毛の色は黒なのに、髪の色を明るく染めていた」と認められ、頭髪を地毛の色である黒に染めるように指導されて一度は従ったとのことだった。以上が前編のおさらいで、以下は今回新たにお伝えすることだ。

学校側の主張によると、A子に対し、髪の毛を黒く染めるように指導した2回目は入学した年(2015年)の5月17日のことだという。その前々日の体育の時間中、担当教師がA子の髪の色について、「明らかに黒ではない」と認めたことから、2人の教師が放課後、A子の頭髪を検査した。すると、A子の髪の毛は根元が黒色なのに、毛先に向かって色が異なっている状態だったという。

A子はこの際、「4月に黒色に染めたが、色落ちした」と説明したそうだが、2人の教師は「A子の頭髪の色は、地毛の色と著しく異なっている」などと判断し、再度、髪の毛を黒く染めるように指導したという。

この時、A子の母親から学校に電話があり、「娘の地毛は茶色なのに、中学の時、そのままだと高校に合格しないと言われて、黒く染めた」などと言ってきた。ただ、母親はこの時、A子の髪の地毛の色のことより、「同じクラスには、化粧をしている子がいるのに、それを認めていいのか」などと言っていたという。そして結果、A子は学校側の指導に従い、5月20日には髪を黒く染めて登校していたという。

だが、学校側の主張によると、この後、学校側とA子の間では、髪の毛の色をめぐる攻防が繰り返されるのだ。

◆学校とA子の頭髪の色をめぐる攻防

前出の準備書面をもとにまとめると、学校側がA子に対して行った頭髪指導の3回目以降の内容、それに対するA子の対応は次の通りだ。

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●2015年7月17日
1学期の終業式があったこの日の頭髪検査により、A子はまた髪の毛の根元の色が黒く、毛先に向かって異なる色になっていた。そこで担当教師2人は「2学期が始まる前に黒く染めるように」と指導した。この時、再びA子の母親から学校に電話があったが、母親は髪の色については、とくにこだわっていなかった。

●同8月24日
2学期の始業式があったこの日、A子は上記の教師たちの指導に従い、髪の毛を黒く染めて登校してきた。

●同12月24日
2学期の終業式があったこの日、A子の頭髪はまた根元が黒く、毛先にかけて色が異なっているという状態になっていた。そこでまた担当教師が「3学期までに黒く染めてくるように」と指導した。

●2016年1月8日
3学期の始業式があったこの日、A子は上記の指導を受けたにも関わらず、髪が黒くなっていなかった。そこで担当教師2人は「4日以内に黒く染めてくるように」と指導した。すると夕方、A子の母親が電話してきて、「同じクラスに化粧をしている生徒がいるのに、頭髪はダメなのか」「弁護士と一緒に学校に行き、校長と話がしたい」などと述べた。対応した担当教師の1人が「化粧についても指導している」などと説明したところ、母親は「黒く染めるから、もういい」と電話を切ってしまった。

●同1月12日
A子は髪を黒く染めて、登校してきた。

●同3月15日
3学期の終業式があったこの日、A子の髪はまた根元が黒く、毛先に向かって色が異なっている状態になっていた。そこで担当教師らは「4月11日の新学期までに黒くしてくるように」と指導した。

●同4月11日
1学期の始業式があったこの日、2年生に進級したA子は上記の指導に従い、髪を黒くして登校した。

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さて、こうして学校側の主張を時系列に沿って見ていくと、A子は終業式のたびに髪の毛が地毛と異なる色になっており、地毛の色である黒に染めるように指導されていたことになる。あくまで学校側の言い分だが、頭髪検査の際にはいつも「A子の髪の根元の色が黒く、毛先に向かって色が異なっていた」という主張は無下に否定できない内容ではあるだろう。

◆次第に指導に従わなくなったA子

このように学校側の主張によると、A子は髪を何度も明るい色に染め、教師たちに指導されるたびに地毛の黒に染め直すということを繰り返していたが、だんだん指導に従わなくなっていったという。その経緯を見てみよう。

同4月27日、和歌山方面での校外学習の際、またしてもA子の頭髪は茶色になっており、それを見つけた教師は黒く染めるように指導したという。だが、A子はこの指導に従わず、髪の毛が茶色いままで登校し続けた。そして同5月17日、ようやく髪を黒くしてきたが、同6月20日には再び髪を茶色くしていたという。

この時、担当教師は「同6月24日までに髪を黒くしてくるように」と指導したが、A子は「やらへん」と言った。そして同6月24日には、一応、髪を黒くして登校してきたが、染め方が不十分だったという。

そんな経緯を経て、1学期の終業式があった同7月20日、A子はまたも髪の毛を地毛の黒と異なる色に染めていた。そこで担当教師は黒く染めるように指導したが、夏休みに入った同7月27日、A子は逆に極端に茶色く髪を染めていたのを教師らに発見される。しかしA子は「夏休みなのに、なんであかんの」などと言ったという。

そして翌28日、A子の母親から学校側へ不穏な連絡が入る。「昨日、娘が過呼吸で救急搬送された」というのだ。

だが、そんなことがあったにも関わらず、夏休みが終わって2学期が始まると、A子は今度はピアスをつけて登校してきたという。頭髪の色はまだら状態だったが、教師に対しては「黒いやん」「直してるやん」とからかうように言った。そしてその後、A子は頭髪の色に関する学校の指導に従わなくなってしまったという。

◆「先生、訴えるで」「えらい目に遭わしたる」

そんな状態が続く中、同9月8日、ついにA子と学校側の間で決定的なことが起こる。担当教師らに指導を受ける中、A子が薄ら笑いを浮かべながら、「先生、訴えるで」と言い、さらに教師たちに対し、こんな言葉を投げかけてきたというのだ。

「次の手を考えている。教育委員会に言ってもダメだったので」

「T(教師の名前)をえらい目に遭わしたる」

「おかあさんに『Y(教師の名前)は文化祭、一生懸命やってるからおとなしいしといたれ』って言うたけど、もうええ」

この日を最後に、A子は学校に登校してこなくなった。そして1年余りの月日が過ぎた2017年(昨年)10月、今回の訴訟を起こしたというわけだ。

以上は学校側の主張に基づいてまとめたものだ。従って、A子側の反論を聞くことなく、鵜呑みにするわけにはいかない。

ただ、これまでマスコミでは、A子側の主張が大々的に報じられる一方で、学校側の主張を伝える報道はあまりに少なかった。それゆえにあえて、ここでは学校側の主張を詳しく伝えた。

訴訟はまだ始まったばかりで、予断を許さない。私は今後もこの訴訟を取材していくので、適時、新しい情報をお伝えしたい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

本年も、よろしくお願いいたします。今年こそ、社会の問題に対し、現実的に一矢報いるところから始める所存。

さて最近、書籍の話題を取り上げてきたが、今回は新年の話題としてもっともふさわしくない「人間の悪魔的な部分」「毒気」について考えざるを得ないような、韓国の劇映画を紹介したい。

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◆韓国と日本の「強制入院」

作品は、2016年に韓国で実際に起きた拉致監禁事件をモチーフとした『消された女』。プレスシートによれば、「韓国では、精神保健法第24条を悪用し、財産や個人の利益のために、合法的に健康な人(親族)を誘拐し、精神病院に強制入院させる事件が頻繁に起こり、社会問題になっていた」という。たとえば、医師が自らの息子を、資産を守るために夫が元妻を、離婚のために夫が妻を強制入院させた。「精神保健法第24条」とは、「保護者2人の合意と精神科専門医1人の診断があれば、患者本人の同意なしに『保護入院』という名のもと、強制入院を実行できる」ものだそう。韓国公開後の16年9月、憲法裁で精神疾患患者の強制入院は、本人の同意がなければ憲法違反という判決がくだった。

調べると、日本の措置入院も、都道府県知事への通報等があること・調査の上措置診察の必要があると認めること(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律27条1項)、診察の通知(28条)を経て、指定医2名以上の診察の結果が「精神障害者であり、かつ、医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認める」ことで一致すること(29条2項)などによって措置入院が可能となっているようだ。

ただし、「自傷他害のおそれがある」という文言を拡大解釈して常習犯や「触法(犯罪を起こした)精神障害者」などによる犯罪その他の触法行為の予防のための拘禁の代用としてこの制度が使われる危険性があり、犯罪として処罰するためには立法府が制定する法令において犯罪とされる行為の内容・刑罰を規定しておかなければならないとする罪刑法定主義の原則との兼ね合いが問題になっているという。

また、措置入院以前でも、医療保護入院(33条)の家族等による悪用があるようだ。権力が強まり、「中世」とすらいわれる現在の社会状況をかんがみても、また監禁事件などの報道をよく目にすることを考えても、背筋が寒くなる話であり、本作のテーマを対岸の火事と思っている場合ではないかもしれない。

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プレスシートには、精神疾患者たちの平均入院期間は韓国が極端に長期にわたっていると説明されていた。なぜか日本が取り上げられていなかったので、気になり、これも調べてみた。すると、「第8回 精神障害者に対する医療の提供を確保するための指針等に関する検討会」(2014年3月28日)の参考資料が見つかった。そこに示されている「精神病床の平均在院日数推移の国際比較」グラフのたとえば2010年のデータを見ると、諸外国が50日程度までにおさまっているのに対し、韓国が100日を超えており、ここ20年間なんと日本がダントツで500日からようやく300日程度まで下がってきたということだ。強制入院に限ればまた異なるのかもしれないが、まったくいったいこれはどういうことなのかと考えなければならない。資料に続けて目を通せば、通常の身体的な病気同様、退院を促すというスタンスはあるようだが、精神的な負担が多い社会なのか、それとも入院させ続けがちな社会なのか、その両方なのか、ほかにも原因があるのかなど、不勉強な筆者には気になることばかりだ。

だが、再びプレスシートを読んでいくと、「1日10件を超える強制入院が発生している韓国の現実」などと書かれている。そこでまた日本のデータを調べ、厚生労働省のデータを見る。「精神障害者申請通報届出数、措置入院患者数及び医療保護入院届出数の年次推移」の2014年度では申請通報届出数24,729件、措置入院患者数1,479人、医療保護入院届出数170,079件(一部を改正する法律の施行により、保護者制度が廃止され、医療保護入院の同意者が従来の保護者又は扶養義務者から、家族等のうちいずれかの者となった)で、全体としては措置入院患者数が減っているが、医療保護入院届出数が増えている。別の「医療保護入院患者数の推移(年齢階級別内訳)」の資料を見れば、131,924人となっている。単純に比較できるデータが出て来ないのでなんともいえないが。

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◆「真実に基づいた映画は、世間の注目を集めるために必要であると信じている」

本映画作品に戻ると、そのあらすじは、こうだ。白昼、都市で、カン・スアという女性が誘拐され、「精神病院」に監禁される。彼女が強制的に薬物を投与され、暴力をふるわれる日常を書き留めた手帳は、ナ・ナムスというTVプロデューサーの男性に届けられた。彼は、殺人事件の容疑者として収監されていた彼女と出会うことになるが……。

韓国でも、実際の殺人事件を取り上げた『殺人の追憶』『殺人の告白』、暴行事件を取り上げた『トガニ 幼き瞳の告発』『ハン・ゴンジュ 17歳の涙』などの作品があり、いずれも評価が高い。

ところで最近、長女を両親が監禁したと思われる「寝屋川監禁事件」、金銭トラブルが原因とされ4人目が逮捕された「茨城・牛久の切断遺体事件」、宮司殺害など3人が死亡した「富岡八幡宮」の事件、アパートで9人の遺体が見つかった「座間殺害事件」など、以前であればもっと騒がれていたようにも思われる凄惨な事件の報道がいくつかあった。筆者は先日、「北九州監禁殺人事件」についてのネットの記述を一晩中読んでしまった。

イ・チョルハ監督は、「いくつもの私設精神科病院にはびこる悪行について語りたかった」「物語を展開することによって、社会から保護されていない犠牲者たちについて語りたいと思った」「真実に基づいた映画は、世間の注目を集めるために必要であると私は信じている」という。ちなみにナ・ナムス役のイ・サンユンは最新ドラマ『二度目の二十歳』などではソフトな魅力を打ち出しており、ファンの方も本作の緊張感あふれる演技を新鮮に楽しめるだろう。ほかにも人気俳優たちがキャストに名を連ねている。

人間には、自らを守るためなのか、悪魔というか毒気にとりつかれるような性質があったり、ある環境や関係性に追いこまれればそのような性質があらわとなるような面があったりするのではないだろうか。生きながらにして互いに地獄に陥らないために、たとえば制度の問題があればそれを是正し、極力オープンな状態を保てるような仕組みをつくったり、対立する利害を対話で解決できる仕組みもどんどんつくったりそれがきちんと用いられたりするようにみんなでし続ける必要があるのかもしれない。

まずは本作をご覧になってみては、いかがだろう。

◎『消された女』公式サイト http://www.insane-movie.com/
原題:날, 보러와요(『私に会いに来て』) 英題:INSANE
監督:イ・チョルハ 出演:カン・イェウォン、イ・サンユン、チェ・ジノ ほか
字幕翻訳:金 仁恵 提供:キングレコード  配給・宣伝:太秦
【2016年/韓国/カラー/91分/シネマスコープサイズ/5.1ch/DCP】
2018年1月20日(土)より、シネマート新宿・シネマート心斎橋ほか全国順次公開


◎[参考動画]映画『消された女』予告編(uzumasafilm 2017/12/22公開)

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動等アクティビスト。『現代用語の基礎知識』『情況』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』ほかに寄稿・執筆。

『紙の爆弾』
●〈2月号〉【特集】2018年、状況を変える8「『よど号』メンバーに聞く 日米安保路線見直しで 日朝国交正常化へ」
●〈1月号〉決死の覚悟と不屈の精神をもつ従軍慰安婦とされた女性たち 寄稿
●〈1月号〉対米従属「永久化」今こそ日米関係を根本的に見直せ! 天木直人さんインタビュー 構成

『NO NUKES voice vol.14』
●[報告]「生業を返せ! 地域を返せ!」福島原発被害原告団・弁護団「正義の判断」寄稿
●[インタビュー]淵上太郎さん(「経産省前テントひろば」共同代表)
〈反原発の声〉を結集させ続ける 不当逮捕を経たテントひろば 淵上さんの「想い」 取材・構成・撮影
●[インタビュー]松原保さん(『被ばく牛と生きる』映画監督)
 福島は〈復興〉の「食い物」にされている 取材・構成・撮影

『救援』584号 塩見孝也さん追悼文

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

◆神原元弁護士はなぜ、対鹿砦社の代理人を一手に引き受けているのか?

 

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)定価=本体1250円+税

写真家の秋山理央は取材班からの電話問い合わせに対して、「あす電話で回答します」と語っていたが、翌日鹿砦社に電話をしてきたのは神原元弁護士だった。これまでに、「反原連」(首都圏反原発連合)、五ノ井郁夫、秋山理央、香山リカ、そして李信恵の代理人を神原元弁護士は鹿砦社に対して引き受けている。

弁護士業界不況の中、年収200万円以下で弁護士登録を断念するしかない、多くの若手弁護士が泣いている中、神原弁護士のご多忙はまだまだ、続きそうである(念のため、上記団体や個人はいずれも、鹿砦社からの質問や要請に対してみずから回答をせず、神原弁護士に対応を依頼したものである。鹿砦社から、好き好んで弁護士登場が必要な場面を作り出したわけではない)。

◆付録CDが怖くて開けない読者にも10項だけは読んでほしい

『カウンターと暴力の病理』を購入していただいた方々から、次々と感想が寄せられている。予想していたこととはいえ「本文を読みましたが、怖くなってCDは聞けていません」という方々が多数いらっしゃるようだ。編集部は読者の皆様に『カウンターと暴力の病理』の読み方、付録の聞き方を強制する立場にはないし、どのようにお読みいただいても(あるいは買いはしたが、面白くなくて途中で放り出されようが)結構。お買い求めいただいただけで感謝、感謝である。

ただ、本文だけでも200ページ近くあるので、後半は未読の読者がいれば、10項「鹿砦社元社員の蠢動と犯罪性」には是非お目通しいただきく、お勧めする。「しばき隊」、「M君リンチ事件」に関心のない方々にも(もちろん内容は事件と無関係ではないが)、現代のネット社会の問題点、とりわけSNSに過度の依存をすると、どのように行為が変化してゆくのか。心理がいかなる変化を見せるのかを考察するうえでの症例研究としてもお使いいただけるであろう。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

◆関連事件に絡む「SNS依存症」の人たちが取る類似行動

いま、ご覧頂いている「デジタル鹿砦社通信」は少なくとも一人以上が、公開前に目を通し、内容の妥当性や誤字脱字をチェックしている(それでも間違いが散見されるのは、ひとえに書き手の「ズボラさ」ゆえだ)。しかし、SNSはふと思い立ったらすぐにそれを「公開」することができ、基本的に「編集者」や「校正者」が介在することはない。特別な有名人で本人ではなく、「ゴースト」が複数で書き込みをしている場合などの例外を除いて、一般人のSNSやブログは「ノーチェック」で他人の目に触れることになる。

そして、SNSの恐ろしいところは、一度深みにはまってしまうと、時間的、内容的な制御が効かなくなることだ。趣味で植物の生育ぶりや、旅行記を書いていたり、興味を同じくするテーマで穏やかに語らっているうちは平和だけれども、SNSを「論争の場」や「徒党を組んで勢力を誇示する場」として使い始めると、とんでもない中毒症状(依存症)と、攻撃性、そして法をも犯すまでに至る「実例」を生々しくご紹介している。

これはどなたにとっても他人事ではない。あなたの隣で真面目そうに仕事をしているように見える同僚が、実は就業時間の半分ほどをSNSに費やしているかもしれない。あなたはそうでなくとも、あなたのご家族やご友人は大丈夫だろうか?

取材班は結成以来、「M君リンチ事件」の取材を進めるかたわら、持ち込まれた複数の類似事件へも直面してきた。社会的にも問題を含んだこれらの事件はまだ記事化されてはいないが、いずれの日にか読者の皆様にご紹介する日が来ることだろう。取材班が驚いたのは、それらの「事件」にはいずれも「SNS依存症」の人間が必ず絡んでいることだ。そして「SNS依存症」の問題人物は共通して「虚構を述べる(あるいは数人で創り出す)」、「法的措置をちらつかせる」などの行動に類似性を見て取ることができた。時に企業恐喝と取られても致し方のないケースもあった。

その象徴のような人物が犯した数々の問題を紹介することにより、過剰に情報伝達速度が上がり、誰しもが「人の目を経ることなく」発信が可能となった今日社会の危険性と病巣に警鐘を鳴らすのが『カウンターと暴力の病理』10項の「鹿砦社元社員の蠢動と犯罪性」だ。「藤井(注:鹿砦社元社員の名)ライブラリー」とさえ揶揄される、この膨大なメールやツイッターの記録を見て取材班は、やや大げさながら「SNSは充分に危険性を理解してから使わないと危険だ」との結論に至っている。

多くの人がスマートフォンを保持し、パソコンを触る環境にある中、「SNS」の使い方を間違えると、仕事や下手をすると人生の貴重な時間を無駄にすることになる。「みもふたもない」(同書176頁秋山理央の告白)失敗に陥らないためにはどうしたらよいのか。その生きた回答を「鹿砦社元社員の蠢動と犯罪性」の中でまとめあげた。未読の方には是非お目通しをお勧めする。

(鹿砦社特別取材班)

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)定価=本体1250円+税

「生まれつき茶色い髪について、学校で何度も黒く染めるように指導されて精神的苦痛を受けた」

大阪府羽曳野市にある府立懐風館高校の女生徒がそう訴えて昨年10月、大阪府に損害賠償など約226万円の支払いを求めて起こした「髪染め強要」訴訟。ここまではマスコミがこぞって女生徒の応援団と化している印象だ。

報道を1つ1つ紹介していたらきりがないが、いかにマスコミが女生徒側に一方的に肩入れした報道を繰り広げてきたかは、以下のようにインターネット上で配信された記事の見出しを並べただけでもわかるだろう。

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教室の席なくされ、進学の夢は遠のき 髪黒染め指導訴訟(朝日新聞デジタル同11月10日)

(社説)黒髪指導 生徒の尊厳を損なう(朝日新聞デジタル同11月6日)

社説 学校の頭髪黒染め指導 理不尽な強要ではないか(毎日新聞ホームページ同11月19日)

地毛茶髪、黒染めで頭皮ボロボロ…アレルギー無視「生徒への暴力だ」(産経WEST同12月19日)

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こうした報道をうけ、脳科学者の茂木健一郎氏や教育評論家の「尾木ママ」こと尾木直樹氏ら著名人たちも次々に学校側を批判するコメントを発表。さらには、この騒動は海外メディアでも次々に報じられ、日本の学校では生徒の身だしなみについて、厳格なルールを定めているように伝えられた。

一方、こうした騒動の中、学校側は女生徒について、「髪の毛の色は明るかったが、地毛は黒色だと判断し、黒く染めるように指導していた」と主張しているのだが、そのことはほとんど報道されていない。そのため、学校側が悪いというイメージが世間に強烈に印象づけられている。

そこで私は、訴訟が行われている大阪地裁を訪ねて訴訟記録を閲覧し、現時点での女生徒側、学校側双方の主張を確認した。その結果、女生徒側の主張を鵜呑みにし、学校側が悪いと決めつけるのは危険だという思いを抱いた。ついては、ほとんど報道されてこなかった学校側の主張をここで紹介したい。

訴訟が行われている大阪地裁

◆懐風館高校は学校運営の方針として生活指導に重点

この訴訟の原告は女生徒で、被告は大阪府だ。府が提出した同12月11日付け準備書面をもとに学校側の主張を見ていこう。なお、便宜上、これから先は原告の女生徒をA子と呼ぶことにする。

懐風館高校は、羽曳野高校と西浦高校という2つの府立高校が統合されて2009年4月に開学した。設立当初、生徒たちの生活などに乱れがあり、問題行動をする生徒が多かったことから、学校運営の方針として、生徒の生活指導に重点を置き、とくに頭髪や服装、遅刻に対する指導に力を入れるようになったという。それにより、生徒たちの興味や関心を勉学やスポーツに向けさせようとしたわけだ。

では、生徒の頭髪に関する校則は具体的にどのように定められているのかというと――。

〈頭髪は清潔な印象を与えるように心がけること。ジェルなどの使用やツーブロックなどの特異な髪型、パーマ、染髪、脱色、エクステは禁止する。また、ドライヤーなどによる変色も禁止する。カチューシャ、ヘアバンドなども禁止する〉

このような校則がある懐風館高校では、夏休みや冬休み、春休みという長期の休み入る前には生徒の頭髪検査を行っている。その際、髪の色を染めているなどの校則違反をしている生徒がいれば、次回の登校日までに地毛の色に染めるように指導しているとのことだ。また、日常の学校生活においても、頭髪を染色するなどの校則違反をしている生徒がいれば、4日以内に改善するように指導しているという。

これを見る限り、懐風館高校の頭髪に関する校則は厳しく、かつ、学校側は生徒たちに対し、この校則を厳しく守らせている印象だ。

もっとも、A子の髪の色が本人の主張するように生まれつき「茶色」であるならば、校則に引っかかることはない。それにも関わらず、学校側がA子に対し、髪を黒く染めるように強要していたとすれば、重大な人権侵害というほかないだろう。

一方、逆に学校側が主張するようにA子の髪の地毛の色が本当は「黒」であるにも関わらず、A子が黒以外の色に染めていたならば、A子は校則違反をしていたばかりか、髪の色を偽って訴訟を起こしていたことになる。こちらが真実である場合、A子の主張はもはや全面的に信用性を失うと言っても過言ではないだろう。

◆地毛が茶色で、髪を黒く染めさせていない生徒が約40人存在

では、学校側はA子の髪の毛の色について、事実関係をどのように主張しているのか。おおよそ次の通りだ。

A子が懐風館高校に入学した2015年の3月23日、学校側は2015年度の新入生を対象とする説明会を開いている。そして教育内容、年間行事、部活動などについて説明を行ったほか、生徒指導主事の教師が校則について説明を行った。

その中では、(1)懐風館高校は、頭髪指導に力を入れていること、(2)頭髪規制に関する校則の内容、(3)頭髪を染髪などした場合は地毛の色に染色するように指導していること、(4)地毛の色に染色してもそれが色落ちしてきた時には再度、染色してもらうことがあること――などが説明されたという。

そして学校側の主張によると、この説明会では、学年主任の教師が新入生たちに対し、「学校生活を送るうえで、配慮が必要な者は保健室へ来て、申告するように」と伝えた。しかし、頭髪に関し、学校側に配慮を求めてきた新入生はいなかったという。

さらに学校側は念押しするようにこう主張する。

〈なお、入学後のオリエンテーションにおいて、頭髪の地毛が茶色であるなどと申し出てきた約40人の生徒がいるが、これらの生徒に対しては、当然のことながら、頭髪を黒色に染色するようにとの指導などは行っていない〉

この部分は換言すると、こういうことになる。懐風館高校では、頭髪が生まれつき茶色である生徒に対し、頭髪を黒色に染めるような指導はそもそも行っておらず、そのことを裏づける生徒が約40人存在する――。学校側がこの訴訟において、この約40人の生徒が実在することを何らかの形で証明できれば、大きなアドバンテージなりそうだ。

◆入学当初に染髪をしていると認められていた原告の女生徒

では、A子に対し、学校側が髪の色に関する指導を行ったのはいつ頃からのことなのか。

学校側の主張によると、最初は同3月30日、新入生の生徒証に貼付する写真の撮影を行った時だったという。この際、3人の教師が生徒たちの頭髪検査を行ったところ、A子の頭髪の色は著しく明るい状況だった。ただ、髪の毛の根元部分(1センチくらい)が黒く、そこから毛先に行くに従って光っているような明るい色になっており、過去に染髪をしていることが認められたという。

A子はこの時、「中学校で、高校入試のために髪を黒色に染めるように言われた」と答えたそうだ。これをうけ、教師たちは「A子の頭髪は、地毛が黒色なのに、異なる色に染色していたので、出身中学が高校入試で不利にならないように地毛の黒色に染めるように指導したのだ」と理解した。そこでA子に対し、校則や指導方針を説明し、4月2日の登校日までに黒く染めるように伝えたという。

ちなみにこの時、学校側はA子以外にも16人の生徒に対し、髪を地毛の色に染めるように伝えたとのことだ。そしてA子も他の16人の生徒も4月2日の登校日には、髪を黒く染めてきたというのだが――。

学校側の主張によると、これ以降、A子は何度も髪を黒以外の色に染め、学校側の指導を受けて地毛の色である黒に染め直すが、また黒以外の色に染める――ということを繰り返すようになったという。こうした学校側とA子の具体的なやりとりについても、前出の準備書面には詳細に綴られている。

それはあくまで学校側の主張だが、信ぴょう性をまったく感じられない内容ではない。後編では、学校側の主張をさらに詳しく紹介していこう。(つづく)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

1995年1月17日早朝に発生した「阪神大震災」から23年になる。震災の記憶を「風化」させてはならない、と神戸などでは毎年行事が行われる。はたして震災の記憶を「風化」させないことにはどのような意味があるのだろうか。またそれは可能だろうか。

◆悲しみは20年程度で消えるものではない

「阪神大震災」だけではない。おそらくは1995年から日本は地震の活動期にはいり、その後20年ほどのあいだに大地震が頻発した。ここ半世紀ほど経験のなかった震度6級の地震が北海道、岩手、福島、新潟、長野、島根、熊本(それ以外にも震源地はある)と全国で発生している。

記憶の「風化」は揺れの経験者や被災者には起こらない。忘れようにも体に染みついた揺れへの恐怖心や、被災による悲しみは20年程度で消えるものではない。被災の苦しみは後遺症や生活困窮となり現在進行形でも被災者を苦しめている。困難の渦中にあるひとびとにとっては「風化」どころではない。

他方、大地震を経験せず、東日本大震災も映像や報道でしか触れなかったひとびとは「震災」をどう感じているだろうか。もちろん一様ではないだろう。共感力の優っているひとは、自分の身に何が起こらずとも情報からだけでも自然災害へのある種の「畏敬」や被災したひとびとの苦難を、わがこととして感じ得よう。あるいは自分も揺れを体感しても、すぐ近くで苦闘しているひとたちに思いをいたすことができないひとが、震災直後からいたことは、1995年の西宮と大阪の意識格差から思い出される。


◎[参考動画]阪神淡路大震災当日 東灘区、灘区の様子(hanahana1187 2015/01/16公開)

◆「もうええ加減、会社出てこられへんの?」 

「もうええ加減、会社出てこられへんの?」 震災から3日後に大阪市南部にある中小企業に勤務する知人は西宮の自宅へ連絡を受けていた。1月17日早朝の大地震発生直後、テレビは即、大阪、京都の震度を報じたが、なぜか神戸の震度だけはしばらく抜けていた。京都で揺れを感じたわたしは「神戸だ」と直感し、親戚、知人に安否を確認すべく電話をかけまくった。幸い直接の知人には、犠牲者や怪我人はいなかった。が、その数分後から関西地方を中心に有線電話はほとんど使えなくなった。

阪急神戸線は大阪(梅田)から西宮北口までは運行していた。その先神戸方面へは不通だった。大阪(梅田)駅周辺には目立った被害は確認できない。地震の直後にビルの屋上で作業用のクレーンが倒れた映像が繰り返し放映されていたが、大阪中心部の被害は、その程度だった。阪急電車が西へ動き出すと景色は少しづつ変化を見せた。ブルーシートを屋根に被せた民家の姿がところどころにみられるようになってきた。武庫川にかかる西宮大橋を渡ってからは街の姿が一変する。何年か前に本通信に書いたが、西宮北口駅周辺は「爆撃を受けた町」の様相だった。

知人は本当であればそこから2駅宝塚方面に乗り換えると、駅から近い場所に住んでいたが西宮北口から宝塚へ向かう電車は運行していないから、徒歩で向かった。新しく建てられた住宅は外見上無事に見えるが、古い民家は軒並み全壊で、崩壊した文化住宅にはまだ救助の痕跡すら見当たらなかった。まだ荼毘に付されない亡骸がそここに埋まっている。そんな状況が地震発生3日後の西宮だった。

阪神高速道路が横倒しになり、新幹線の高架が何か所も崩れ落ちている映像はその日のうちに全国に放映された。それでも大阪から電車で特急なら15分、距離にして15キロの被災者に向けて「もうええ加減、会社出てこられへんの?」と声をかけるひとが震災3日後に実在した。

そのひとにとって「阪神大震災」はどう感じられたのだろう。彼にとっては、身近な知人が被災していても、町が火に包まれ、寒空の下路上に家から逃げ出したひとが途方に暮れていても、特段心に感じるもののない光景だったのだろう。そのようなひとに「感じろ!」と詰め寄っても意味はない。感じられないひと、心動かないひとに「こんなに酷いんだよ、こんなに困っているんだよ!」と丁寧に話せば話すほど、そのひとの心中はますますしらじらと冷めてゆく。「風化」どころではない「不感」である。


◎[参考動画]阪神大震災 1995年(平成7年)1月17日(kinnsyachi2012 2017/09/25公開)

◆「人間が自然を制御できるはずがない」

どうして、「阪神大震災」の記憶を語り継がねばならないか。どうして「風化」させてはならないか。その回答は単純だ。

「人間が自然を制御できるはずがない」

この分かり切っているようで、やもすると日々の生活で勘違いしそうな大原則を思い起こすことが、今日ますます重要になっているからだ。だけれども、不幸なことに、日本列島は「阪神大震災」のあと、数々の大地震を数年おきに経験している。原発4機爆発首都圏4000万人避難の可能性も検討された東日本大震災まで起きてしまい、東日本は地震と津波だけでなく放射能汚染にもさらされてしまった。

過剰にすぎるいいかたになるが、もう揺れは日常なのだ。そしてひとびとはその危険性と恐怖をむしろ「忘却」しようと無意識に「日常」をこしらえる。もちろん毎日、毎日怖がってばかりいたら精神が持たないし、穏やかに暮らすこともできない。でも「阪神大震災」を「風化」させるな、というのであれば、「正しく怖がる(物理的、精神的に準備する)」ことしか被災者以外のひとにはなすすべがあるだろうか。犠牲者を追悼することに異議はない。それはしかし震災に限ってのことではないはずだ。

「自然の力に人間は到底及ばない。そんな程度の生物であることを自覚しなおそう」とでも明確に伝える方が「風化」を嘆くより意味があるかもしれない。


◎[参考動画]阪神大震災発生当日 西明石から被災中心地へ(yankayanka 2015/01/17公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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