来る1月18日午前11時から、李信恵被告による相次ぐ「鹿砦社クソ」発言に対する名誉毀損訴訟第2回弁論(大阪地裁第13民事部)が開かれます。この期日には被告側の答弁がなされることになっています。

在特会や保守速報等に対する訴訟によって「反差別」運動の旗手ともて囃されている李信恵被告が、裏では大学院生リンチ事件に関わり、当社に対しては連続して「クソ」発言を繰り返すということをなぜ、李被告をもて囃す人たちは目をそむけ黙っているのでしょうか? それは「反差別」運動にとってもマイナスでしかないと思うのですが。

会社や社員を誰よりも愛する私としては、李被告による「鹿砦社クソ」発言は到底許せるものではありませんし、取引先への悪影響を懸念して、やむなく提訴に踏み切りました。以来さすがに当社に対する「クソ」発言は止まりましたが、私が李被告に会ってもいないのに喫茶店で睨み恐怖を与えたかのようなツイートをし、係争中にもかかわらずさらに私を貶めるような発言をしています。どこの喫茶店なのか、問い質しましたが返答がありません。それはそうでしょう、会ってもいないのですから……。

李信恵のツイート

私が李信恵被告の顔を見たのは、リンチ被害者の大学院生M君が李被告ら5人を訴えた裁判の本人尋問(昨年12月11日)が初めてでした。「反差別」運動の旗手として祀り上げられた人物とはどんな顔をしどんな雰囲気を醸しているのだろうか? 興味津々でした。意外にも、社会運動の旗手として君臨するような輝いたイメージではなく、顔色は酒焼けしているのか悪く、目の輝きはなく目つきもよくありませんでした。この人が「反差別」運動の旗手なのか――尋問も聴いていると、明らかに事実と異なる嘘を平然とついていました。「反差別」運動のリーダーたる者、嘘をついてはいけません。

李信恵という人は、M君に対し5人でリンチを加えた現場にいてその場の空気を支配し、ネット上で流行語になった感さえある、「殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」とリンチの最中に言ったり、半殺しの目に遭ったM君を寒空の下に放置して店を後にしたりした、その人です。こんな人が一方では「人権」を声高に叫ぶのですから、世も末です。

このリンチ事件に出会い、ずっと調査や取材を進めていく過程で、李被告に限らず「反差別」運動(「カウンター」‐「しばき隊」)の周辺の人たちの言葉が殊更汚いことは気になっていましたが、「殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」という言葉に極まった感があります。

私は1970年代以降、この国の部落解放同盟による、いわゆる「糾弾」闘争などを経過し、私なりに「反差別」のなんたるかについて考えてきました。「糾弾」闘争への疑問が語られ始めた頃、師岡祐行さん(故人。当時京都部落史研究所所長)と土方鉄さん(故人。元『解放新聞』編集長)の対談を行い、両氏とも「糾弾」闘争の誤りを指摘されていたことを思い出します。土方さんは喉のガンの手術の後で、絞り出すように語られていました。この対談は記録にも残っています。1992年のことです。その後、さすがに解放同盟も反省したのか今では「糾弾」闘争をしなくなりました。

差別と闘うということは崇高なことです。真逆に「反差別」の看板の裏で平然とリンチを行うことは、差別と闘うという崇高な営為を蔑ろにし「糾弾」闘争の誤りを繰り返すことに他ならないと思います。それもリンチはなかったとか事件を隠蔽し、当初の反省の言葉さえ反故にして開き直っています。これが「反差別」とか「人権」を守るとか言う人のやることとは思えません。いやしくも「反差別」とか「人権」を守るというのであれば、みずからがやった過ちに真摯に立ち向かうべきではないでしょうか?

私(たち)は、大学院生M君リンチ事件に出会い、これを調べていく過程で常に自問自答を繰り返してきました。私(たち)がM君を支援しリンチ事件の真相を追及するのは是か非か――答えは明らかでしょう。リンチの被害者が助けを求めてきているのに放っておけますか? 私(たち)はできませんでした。あなたはどうですか?

私たちはすでにリンチ事件について4冊の本にまとめ世に出しています。事実関係はもう明白です。最新刊の『カウンターと暴力の病理』にはリンチの最中の録音データをCDにし付けていますし、リンチ直後のM君の凄惨な写真も公にしています。これを前にしてあなたはどう思いますか? なんとも思わないのなら、よほど無慈悲な人です。こんな人は、今後「人権」という言葉を遣わないでいただきたい。

李信恵という人に出会って、私は「反差別」運動や「反差別」についての考え方が変わりました。「人権」についてもそうです。平然とリンチを行う「反差別」運動とは一体何ですか? 被害者の「人権」を蔑ろにして「人権」とは? 

◆鹿砦社は「極左」出版社ではない!

李信恵被告の当社に対する罵詈雑言のひとつに、当社が中核派か革マル派、つまり「極左」呼ばわりしているツイートがあります。70年代以降血で血を洗う凄惨な内ゲバを繰り広げた中核‐革マル両派と同一視され、その悪いイメージを強調されることは、由々しき名誉毀損です。

李信恵のツイート

この際、いい機会ですから、このことについて少し申し述べておきたいと思います。

「極左」呼ばわりは、李被告と同一歩調を取る野間易通氏や、李被告の代理人・神原元弁護士らによって悪意を持ってなされています。「極左」という言葉は公安用語だと思いますが、いわば「過激派キャンペーン」で、鹿砦社に対して殊更怖いイメージを与えようとするものといえます。彼らが私たちに対し「極左」呼ばわりするのは何を根拠にしているのかお聞きしたいものです。

鹿砦社には、私以外に7人の社員がいますが、誰一人として左翼運動経験者はいません。私は遙か40年以上も前の学生時代の1970年代前半、ノンセクトの新左翼系の学生運動に関わったことがありますが、大学を離れてからは生活や子育てに追われ、運動からは離れていますし、集会などにもほとんど行っていませんでした。ノンセクトだったから運動から容易に離れられたと思います。考え方は「左」かもしれませんが、いわば「心情左翼」といったところでしょうか。社員ではなく、『紙の爆弾』はじめ鹿砦社の出版物に執筆するライターは左派から保守の方まで幅広いのは当たり前です。

また、鹿砦社は、1960年代末に創業し、当初はロシア革命関係の書籍を精力的に出版してきましたが、現在(1980年代後半以降)はやめています。昨年1年間で強いて左翼関係の本といえば、100点余りの出版物の中で『遙かなる一九七〇年代‐京都』(私と同期の者との共著で、いわば回顧録)だけです。

これで「極左」呼ばわりは、悪意あってのことと言わざるをえません。

さらに、M君リンチ事件について支援と真相究明に理解される方々の中にも、さすがに「極左」呼ばわりはなくとも「ガチ左翼出版社」と言う方もいますが、これも正確ではありません。

1970年代の一時期、当時どこにでもいたノンセクトの学生活動家だったことで、40年以上も経った今でも「極左」呼ばわりされないといけないのでしょうか。

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)

昨年出版された松岡利康+垣沼真一編著『遥かなる一九七〇年代―京都』を読んでいたら、巻末に、懐かしい『季節』誌の表紙画像が並んでいました。

『季節』5号、6号、7号(エスエル出版会)

『季節』8号、9号、10号(エスエル出版会)

 

『同時代音楽2-1』(ブロンズ社1979年)

1980年代、5号、6号あたりから『季節』誌と関係ができていった、東京の「『同時代音楽』―廣松渉研究会」について、以下、主に府川充男『ザ・一九六八』(白順社、2008)から引用しながら思いだしてみます。

私がこの読書会に参加したのは「廣松渉研究会という名称」となってからのことでしたが、それまでの経緯を、府川氏から引用しておきましょう。

「高橋(順一)に遣ろうかと呼掛け、早大の運動仲間水谷洋一や更に白井順も加わって此酒場(「新宿三丁目の酒場セラヴィ」)を中心に行われた読書会が「廣松渉研究会」の前身である」(府川『ザ・一九六八』)

「高橋(順一)と早大時代の運動仲間水谷、音楽ライターの後藤美孝等に読書会でもしないかと持掛けた。/「何を遣ろうか」/「デカルトから遣り直したい」/そう言えば坂本龍一も交ぜろと言っていたのだが、スタジオ・ミュージシャンとして売れ出していた頃で結局一回も来なかった。慥か最初はハイデガー『存在と時間』で先ずは「読書会の勘」を取戻そうと云う事になった。続いてデカルト『方法序説』『省察』『哲学原理』等と併せて勁草思想学説全書の所雄章『デカルトI・II』や永井博『ライプニッツ』、岩崎武雄『カント』等を読んだ。取分け所雄章の『デカルトII』は現象学の先駆の如き存在としてデカルトを読込む可能性を示唆していて新鮮だった」(同上)。

 

府川充男『ザ・一九六八』(白順社2006年)

1970年代にもなると、マルクス読みの作法にも変化があらわれてきていました。それまでマルクス読みの「異端」とされていた宇野弘蔵の「マルクス経済学」の方法や、「関係論」にもとづく「実体観」からマルクスを読み込んだ廣松渉の「物象化論」などが、むしろマルクス読みの主流となってくるなかで、からっとマルクスを読むことも可能となっていた。

一般に流通していたアドラツキー版を「”偽書”に等しい」とし、70年代、河出書房から訳書と原書の豪華箱入り2冊セットの廣松版『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』まで出版されていた時代でした。

「疎外論から物象化論へ」のフレーズで一世を風靡した廣松渉の、大風呂敷のゆえに年代を飛び越えたかのような「四肢的存在論」は、詩心を排除し徹底的に抽象化することでかえって、「曖昧な」現代世界も人類史上の他の諸世界と遜色ない「人間」世界とみなすことを可能にした。だからこそ「絵に描いたようなはっきりした世界」だけを特別あつかいしてきたそれまでの「疎外論」「人間主義」「主体性」などへの批判としても通用したのだろう。

もともと「学校の授業」などとは無関係に、当時のマルクス経済学の「宇野(弘蔵)理論」にハマっていた私は、いわば「武者修行・腕試し感覚」で法大の経済学専攻修士課程に在籍していました。廣松渉が東大教師になる前、一年間だけ法政にきていた時期とたまたま重なっていたので、『ドイツ・イデオロギー』を扱った哲学専攻の廣松ゼミの単位も取れたのでした。

法政時代の「マル経」専攻の友人たちのなかには高校時代に府川氏のグループだったひとも何人かいました。しかし、もともと音楽マニアだった私は『音楽全書』(『同時代音楽』の前身に相当する)誌の巻末にあった「廣松渉研究会の参加者募集」の呼びかけをみて、参加したのでした。新宿の喫茶店『プリンス』の地下、多いときには隔週くらいの読書会だったと記憶しています。

「途中から白井順も参加してきて、デカルト以前の中世的世界像の輪郭を辿る為にアレクサンドル・コイレ『コスモスの崩壊』等も繙いた。第三世界論の議論になった時には湯浅赳男『民族問題の史的展開』『第三世界の経済構造』、いいだもも『現代社会主義再考』等を題材にした。此読書会は軈て廣松渉研究会という名称となる。何しろ、我々にとって廣松渉の著作は60年代の彼此(アレコレ)への強力な解毒剤であった。『マルクス主義の地平』『世界の共同主観的存在構造』『事的世界観の前哨』『資本論の哲学』等の読書会を次々と遣ったと記憶している」(同上)。

「此読書会は軈て廣松渉研究会という名称となる。何しろ、我々にとって廣松渉の著作は60年代の彼此(アレコレ)への強力な解毒剤であった」(府川充男「「六八年革命」を遶る断章」、さらぎ徳二編著『革命ロシアの崩壊と挫折の根因を問う』)。

70年代の、廣松のこの感覚での受容のされかたは、なかなか対象化されていません(かろうじて、70年代を区切りに「廣松さんの場合は個人のアイデンティティから人々を解放したし、山口(昌男)さんの場合は共同体の持っている価値とか規範の重みから人々を解放した」という大澤真幸『戦後の思想空間』があったし、最近岩波文庫化(2017)された『世界の共同主観的存在構造』への熊野純彦による「解説」も、同じ熊野じしんによる「講談社学術文庫」版(1991)への解説と比較すると変わってきているとはおもいますが)。

詩心ゼロの文体。立ち位置の必然性のなさ。読者にうっとり感情移入させない主人公設定(学知的立場?)。少なくとも私にとっては廣松のこの部分こそが画期的だったのです。

▼白井 順
1952年生れ。法政大学大学院(修士)修了後、高橋順一、府川充男、坂本龍一などと共に「廣松渉研究会」に参加。著書に『思想のデスマッチ』(エスエル出版会)など。

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代‐京都 学生運動解体期の物語と記憶』定価=本体2800円+税

12月中旬郵便局によったら「このまま52円で使えるのは1月7日までですからご注意ください。それ以降は10円プラスの切手が要りますから」とカウンターで年賀状を販売している方が購入者に説明していた。「年賀状は数が多いですから、『企業努力』で安くさせて頂いております」と余分な説明も耳に入った。マニュアルにある説明文句なのだろうか。郵便局が「企業」になった(された)ことをまだ、首肯してうけいれられないわたしにとっては「なにが『企業努力』ですか?」と嫌味の一つもいいたくなるけれども、窓口で勤勉に業務をこなしている方に「郵政民営化」の罪は微塵もないわけで、文句を言いたいのであれば、総務省か、小泉元首相あたりにぶつけるのが筋だろう。

◆「平成30年」は早かった

その郵便局で「平成30年」と大きく書かれたポスターが目に入った。今年は昭和が終わってから30年目だと(誰でも知っていそうなこと)気づかされた。わたしにとって、この30年は早かった。4、5回転職し、2回裁判をして、両手に余る親戚、知人を看取り、ある小さなカジノでは1ドルが40万円に化けて、2千冊ほどの本を転居時に廃棄し、5000㏄エンジンのクライスラーでニューヨークからワシントンD.C.までハイウエーを走っていたらパトカーにスピード違反で追いかけられ(たけれども途中でUターンしてその時は煙に巻いた)のをはじめに、5か国で交通違反に引っ掛かり、3回ほど死にかけた。それでもお陰様で心身ともガタを実感しながらも、わたしは生きている。

◆島国の「少子高齢化」と地球規模の「人口爆発」

昨年12月23日の京都新聞では、2017年に生まれた新生児が統計を取りはじめた1899年以来最少だった2016年より約3万6千人少ない94万1千人とみられ、2年連続で100万人を割り込むことになった一方、17年の死亡者数は戦後最多の134万4千人(前年比約3万6千人増)で、死亡者数から出生数を引いた人口の自然減は過去最大の40万3千人(同約7万2千人増)と推計されることを報じられていた。この島国の人口は政府が予測していた速度よりもかなり速いスピードで減少を続けている。わたしの予想と現実が近づいてきた。

日本の人口推移(出典)2015年までは総務省「国勢調査」(年齢不詳人口を除く)、2020年以降は国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」(出生中位・死亡中位推計)

他方地球全体でみると、国連によれば2017年の総人口は約76億人と推計され、2030年には86億人、2050年には98億人、2100年には112億人に達すると予想されている。

世界人口の推移(出典)内閣府が引用掲載している国連統計より

目の前では「少子高齢化」がますます顕著になっているけれども、地球規模では「人口爆発」が進行しているということだ。100億人がこの地球上で平和裏に暮らすことができるだろうか? 一部大量生産大量消費国では人口増が終わり、少子化に転じるかたわら、大量生産のために労働力や資源を供給する国では人口爆発が起きるのは、資本主義の宿命であり、これを解決しようとすれば冨の偏在を解消し、たとえば、われわれが使っているエネルギーを現在の半分以下にする、といった大規模変革がなされなければ状況は変わらない。

「少子高齢化」などじつは小さな問題だ。人口爆発の前では、平成が30年になろうが、年賀状に1月7日以降は10円切手を貼らないと送り返されてこようが、私が2回裁判をしようが、すべてが終焉に向かう。資本主義の基本「搾取」の対象が数的に爆発してしまい、一方AIやIPS細胞、東京五輪などと眠たいことをいっている勘違いした「進んだ文明」では、逆に決定的な労働市場不足が生じる。働く場所がなくなってしまうのだ。あるいは不可思議なことに労働力不足も生じよう。その兆候はすでに現れており、空前の好景気といわれる現在、失業率は低止まりしているがゼロにはならない。そして中小企業や運送業の人手不足は深刻だ。

現象としては、求職者と企業のアンマッチに見えるかもしれないが、そうではない。大資本は抱えている正社員の削減を図るべく「労働力」を「コスト」と計算しはじめている。資本主義は空間的、物質的に広がっていかないと維持できない(成長しないと破綻する)から貸借対照表には黒字を計上するために、「人間」を削るしか目下大資本には人口爆発に対抗する術が思い当たらないのだ。

そして文明的視点から断じてしまえば、そもそも「企業」という労働形態に「ヒト」のすべてが馴染むはずはないのだ。地球が静止しない動体であるように、国家や社会を生物と仮定すれば、この島国においては、圧倒的に欠乏している食料自給率を上昇させるべき(つまり第一次産業)仕事にこそ多くの若者が従事するのが自然である。

◆大言壮語をしている猶予は長くない

「国家100年の計」だとかなんだとか大言壮語できる牧歌的な時代は、既に終焉しているのであって、いまごろ月探査機を計画してもなんのメリットがあるというのか。そういう的外れで、自滅的な方向に無自覚な政権の下で暮らさざるをえないわれわれは、どうやって日々生活をすべきなのだろうか。どのようなことを「やめて」、なにを「なすべき」なのか。

わたしは2050年にこの島国の統治形態は崩壊すると考えていたが、2011年以降2030年その予想を繰り上げた。理由はご想像いただけよう。なにを「なすべき」か、「なさざるべき」か。あれこれ考える猶予はそう長くない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

【新年総力特集】『NO NUKES voice』14号 脱原発と民権主義 2018年の争点

松岡 昨年はお疲れ様でした。『カウンターと暴力の病理』は大反響で、発売直後は「しばき隊」は完黙(完全黙秘)状態でしたが本年もよろしくお願いいたします。

A あれにCD付けるアイディアは社長が発案しはったんですか?

松岡 それは「企業秘密」ということで。

B 「鹿砦社どこまで突っ走るの?」って仲間のフリーライターから面白半分に聞かれるんですけど、ここまで来たら一応の区切りまでは突っ走るってことでしょうか?

C もちろんでしょ。だから「サイバー班」から上がってくる情報の分析方法も格段に進歩したでしょ。

E 基本「特別取材班」は「M君リンチ事件」がもちこまれたところからスタートしましたよね。だからM君の一件が片付くまでは、「周辺事態」にも目配りしないと、ってことですかね。

A いやー。正直なところ、自分はちょっと精神的に疲れてるんですわ。

D どうしたの? 毎晩飲み歩いてるじゃない?

A 李信恵とか野間易通とかの書き込みのサマリーが、毎日「サイバー班」からあがってくるやないですか。あれ読んでたら「何がしたいんか、この人ら」って正直思いますよ。

D まあ無理はないだろな。俺もいい加減連中のお供には飽きが来てるし。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

E それでは困るでしょ。まだまだM君の裁判は続くんだし。李信恵の判決後には記者会見を開くのに、M君や鹿砦社は一切無視のマスコミにも一撃くらわさないと。

C 暮れに毎日新聞の後藤由耶(よしや)記者に公開質問状を送ったけど回答はありませんでしたね。

A 毎日新聞もどうかと思うわ。取材対象に癒着してしもうて。あれやったら記者と取材対象やなしに、ただの友達やんか。

D まあ、毎日新聞にしろ、朝日新聞にしろ、原則違反の取材姿勢がはっきりしたから社長から遠からず「突撃命令」が出るんじゃないの。

B え! また「突撃」ですか?

松岡 今回はBさんとCさんにお願いします。

C は、はい・・・。

D まぁ、若いうちに直撃や、現場は踏めるだけ踏んでおいた方がいい。

A そういえばDさんはいまだに「直撃」はゼロですね。

D そのかわり君らの文章の校正は全部俺がやってるぜ。

一同 はあ、それはそうです。

B 『カウンターと暴力の病理』の最後で社長が「隠し玉はまだある!」って宣言してましたよね。

松岡 あれっ。まだ皆さんには送っていませんでしたか?

D 社長、あれは俺に任せたってことだったじゃないですか。

松岡 ああそうだった。Dさんよろしくお願いいたします。

D 「爆弾処理」承りました。毎度ながら今回の爆弾に「しばき隊」は腰を抜かすだろうな。

A どないな内容なんですか?

松岡 まあ、見てのお楽しみということで。ちょっとだけヒントを言うと、「しばき隊」のかなりコアとみられている・・・

D 社長、ストップ!これはメガトン級の衝撃取材だからゲラができるまでは特別取材班内でも秘密にしましょう。

松岡 そうですね。今年は私も徐々に一線から退いて、社長業に専念する方向で行こうと思っています。

B 本当に我慢できますか社長?「しばき隊」関連ではないけど『紙の爆弾』最近評判がうなぎ上りですね。

C うんうん。鹿砦社の仕事してるって話すと「紙爆か? 頑張ってるな」って全国紙の記者の評価も上がって来たよね。僕は「紙爆」の仕事回ってこないけど。社長、僕にも書かせてくださいよ!

松岡 中川(『紙の爆弾』編集長)に相談してみてください。

C  (なんだ、そっけない)

A ところで例の絨毯爆撃の効果はどないでした?

E かなりのものだったらしいよ。住所不明で帰って来たのは1人だけで、1人は「受け取り拒否」だったって。

C 「受け取り拒否」なんかした人には、当然直撃取材が待っているわけですね。

松岡 その人は北陸の人でね。有名人でもないから取材費使って「直撃」するのはどうしようかと考えています。

E 北陸といえば、あの宗教関係者だ!

A しかおらへんやろ。

D 小物はほっときなよ。それより今年はM君や鹿砦社だけじゃなく、対「しばき隊」の新たな訴訟の情報があるよ。

C 聞いてます。聞いてます。それも複数でしょ。

D 安田浩一がさ「こういう記事を書いて最終的に喜ぶ人間の顔がわかるんです」とかなんとか言ってたけど、俺に言わせりゃ「じゃあ連中が喜ぶようなことをするなよ」ってだけのことなんだよね。「不都合な事実」は隠蔽しようとする。でも起きたものは仕方がない。事実は事実でしょ。「しばき隊」は隠蔽せずに、「これはここがまずかった」って反省すれば、ことはそれで簡単に済んだんだよ。けど奴らはそうはしない。だからたちが悪いんだよな。有田もそうだけど。四国の合田夏樹さんは、俺はっきり言って思想的には全然合わないよ。彼は保守でしょ。安倍の支持者で原発にも賛成。でも人間は誠実なんだよな。だから話は通じる。それに有田の選挙カーで職場や自宅を「訪問」されてる。こんな事件聞いたことないぜ。

B 合田さん事件については新たな証拠も入りました。いずれ読者に公開できますね。

松岡 皆さん今年も昨年以上の奮闘を期待します。よろしくお願いしますね。

A 社長、年末年始の出費がかさんでいまキツイんです。ちょっとだけ前借お願いできませんか?

D やめときな。若いくせに前借の癖なんかつけたら、ろくなことにならないぜ。誰かさんみたいに50歳超えてもSNSしか居場所がなくなったら嫌だろう? バイトでもしなよ。

A キツイなー。けど説得力あるわ。「誰かさん」みたいにはなりとうない。夜勤のバイトしますわ。

(鹿砦社特別取材班)

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)定価=本体1250円+税

本日9日、南北朝鮮の国境、板門店で南北会談が行われる。韓国は2月に平晶オリンピックをひかえ、朝鮮は米国をはじめとする経済制裁にあえぐ中、両国の直接会談は、いっときの「モラトリアム」かもしれないが、理由はどうあれ歓迎すべきニュースだ。

昨年は朝鮮側から韓国側への亡命を試みた兵士が2名いた。銃撃を受けた1名は重傷を負ったが命はとりとめ、入院中だ。「K-POPが聞きたい」と病床で話しているという。板門店は何度か訪れたが、あの厳戒態勢の中でよく、亡命を敢行したものだと、兵士の決意には恐れ入る。

◆祖国分断の諸相

国境が海上にしかない島国に暮らしているわたしたちが、想像できないような地上の国境は世界にはいくつもある。かつて東西ドイツ国境の緊張もそうだったし、インド-パキスタン国境で繰り広げられる、双方が敵意むき出しの「儀式」のような様子も深く印象に残っている。中国とベトナムの国境も一時緊張状態にあった。

静寂時の板門店を韓国側から訪れると、そこは、緊張と商業主義の混在した場所だ。会談が行われる安っぽい建物は南北国境線上にあるが、観光客でも建物内の朝鮮国敷地内に入ることができた。毎日にように訪れる観光客の姿を、朝鮮側の兵士は望遠鏡で注意深く観察していた。

韓国の友人の多くは、「祖国の分断をいつかは解消したい」とわたしに語る。「世界最後の分断国家の子」と名付けた個展を日本で開いたのも韓国の友人だった。わたしは朝鮮国民に会ったことはあるけれども、友人と呼ぶほどの付き合いのある人はいない。日本にたとえれば、箱根あたりの南北で国境線が引かれ、引き裂かれた民族。冷戦取終結により、溶解した「ベルリンの壁」や、ソ連崩壊後多くの国が独立したのに反して、極東では、誰の意思によるのだろうか。いまだに同じ民族が分断を余儀なくされている。

◆誰のための、何を目指す「経済制裁」なのか?

「北朝鮮のミサイルの脅威」を連日垂れ流し、拉致問題をスパイスのように散りばめイメージづくりされる朝鮮民主主義人民共和国から、この冬には例年にない数の簡素な木造船、もしくは木造船の残骸が日本海各地に流れ着いている。わたしはその理由が国際社会による朝鮮への「経済制裁」にあると想像する。いわゆる“Sanction”(サンクション=経済制裁)はこれまでも、国際政治の場で幾度も繰り返されてきた。けれども、「経済制裁」が、その対象国の権力者に打撃を与えた実績をわたしはまったく知らない。そもそも、「経済制裁」を行うのが妥当であるのかどうかが、はなはだ疑問なケースは、イラン、イラクやキューバをはじめとして枚挙にいとまがない。誰のための、何を目指す「経済制裁」なのか。その理由の大半はここ半世紀ばかり「米国の利益」とほぼ重なる。

朝鮮に対する「経済制裁」も金正恩氏には痛痒でもなんでもないだろう。彼の恰幅(かっぷく)の良さは相変わらずだし、(わたしも好ましくないと同意する)独裁体制が揺らぐ気配はどこにもない。「経済制裁」は対象国の庶民生活を直撃し、権力者にはまったく無影響である(独裁的な国であればあるほどその傾向は強まる)ことを、わたしたちは日本海に流れつく、簡素な木造船の破片から、その中に横たわる亡骸から感じ取ることができないものだろうか。

映画『シュリ(Shiri)』(1999年)

◆映画『シュリ』の卓越なストーリー

1999年に韓国で撮影された『シュリ(Shiri)』という映画がある。ストーリーはややわかりやすすぎるきらいはあるものの、分断国家の悲劇を描いた作品として当時韓国では史上最高の観客動員数を記録した。朝鮮の精鋭部隊工作員が韓国の国防組織の人間と接触するうちに恋仲になるが、2000年に開催されるサッカーワールドカップに参加した南北両国の首脳を朝鮮側の部隊が爆破し、統一のための「革命」を図ろうとし、それが果たされない。そんなストーリーだったと思う。

「民族が分断されて何十年。政治家どもたちだけがいい加減な芝居を演じてきた。祖国統一のために、俺たちは政治家ではない新しい革命を必要としている」

たしかそんなセリフを朝鮮側から韓国に侵入した特殊部隊の隊長が、韓国の国防部隊主役に投げかけていたような記憶がある。『シュリ』のなかで、朝鮮の部隊は韓国だけではなく、みずからの国の元首もスタジアムごと爆殺することによって、民族統一を図ろうとしていたストーリーが卓越だった。終焉に向かう前に何人もの朝鮮兵士が窮地に陥ると殺される前に、「トンイルマンセイ(統一万歳)!」と声をあげながら服毒自死するシーンもあった。

当時の韓国大統領金大中は2000年に平壌を訪問し、金正日総書記と会談をしている。金大中が平壌空港に降り立ったとき、金正日は自ら出迎え、最大限の敬意を表している。日本でも在日コリアが涙しながらその様子を目にし、喜びに酔いしれていた(一部冷めている人もいたけれども)姿はまだ覚えている。韓国からの留学生も夜を徹して祝っていた。だから『シュリ』の描いたストーリーは劇場内では刺激に満ちたものだったが、それが現実を動かす力になりえたか、と言えばそうではなかったろうし、当時はそんな情勢でもなかった。

独裁国家の精鋭部隊が、忠誠を貫くべき国家元首を、「民族統一」の障害物として爆殺を敢行しようとするストーリーには引き込まれたが、2月には平晶オリンピックが韓国で開幕する。もちろん物騒な騒ぎなど微塵もなく、この機会に南北両国の凍てついた関係に少しでも融和の兆しが現れるよう、こころから切に願う。


Shiri (Shiri’s Ending)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

新年早々タブーなし!『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

── おとうちゃん、いくら正月やからゆうて、飲みすぎちがう? 暮れの紅白見ながら白酒(パイチュウ)飲みだして、ずっとやで。
── じゃかましい! おまえらにいちいち酒の事は言われとうない。
── せやけど体にさわるで。いくらなんでも。
── あほ!「今年の10大ニュース」お前らも見たやろ?
── それがどないしたん?
── なにが「上野動物園でパンダの赤ちゃんシャンシャン誕生! 初公開に46倍の申し込み」や! お前ら悔しゅうないんかい!

(また、おとうちゃんの「上野恨み節」がはじまった。酒はいってるし、きょうは難儀そうやわ)

── うん、うん。あれはあんまりやね。
── あんまりですむかい! え? テレビも新聞もどこみてけつかんねん。おっ! わしらここでどんだけの家族がいてると思うてんのや!
── そやねぇ。いまはうちら5頭だけになったけど、一時は大賑わいやったもんね。

正月2日、場所は和歌山県「白浜アドベンチャーワールド」だ。ここではジャイアントパンダが現在5頭飼育されており、上野動物園のガラス越しとは異なり、じかにジャイアントパンダを目にすることができるので人気がある。が、13頭もの新生児を誕生させたジャイアントパンダが「白浜アドベンチャーワールド」にいることは、あまり知られていない。そのことについては当人(当パンダ)たちのあいだで、これまでさしたる問題になることはなかったが、昨年上野動物園で「シャンシャン」が誕生して以降の報道過多に、ついに白浜のパンダたちは堪忍袋の緒を切らし、2018年元旦を期して「無期限ストライキ」に突入していた。

東京・上野など目でははない!和歌山「白浜アドベンチャーワールド」のパンダファミリー

パンダたちの要求は
「上野動物園パンダ偏向報道の是正」
「動物園に収容されている動物の野生への一時解放期間の要求」
「日本の自然動物との交流機会の保障」
「外来種を含めた自然動物と動物園収容動物による意思決定機関の保障」
の4項目だ。

関係者はこれまで温厚だったジャイアントパンダの態度急変に驚いたが、ジャイアントパンダが同園に果たしてきた役割の大きさから、要求を無視することもできず、「一度持ち帰り検討させてほしい」とジャイアントパンダ側に回答。同園だけでなく、国際問題に発展する恐れもあることから外務省、文科省、ユネスコ、そして中国大使館とも水面下で対応を協議していたが、回答をまとめるのに時間がかかりついに世界の動物園史上初「ジャイアントパンダによる無期限ストライキ」突入となった。

── だいたいやな。わしらは「平和の使者」ゆわれて、大陸から世界中に派遣された。ちゃうか?
── うん、それはおとうちゃんからしょっちゅう聞いてるし、上野動物園に最初「カンカン」と「ランラン」が派遣されたときからそうやったんやね。
── それがやな、なんでわしら白浜家族はこんなごっつい所帯やのに、ちょぼっとしか宣伝もされんと、なんで上野の若造ばっかりいつも注目されるんや! お? わしがここで可愛い13頭のこども育ててたことを知ってる人間がどれほどおるんや!
── うんうん、おとうちゃんみたいな人間はおらへんやろうね。
── あたりまえや! 人間なんて頑張ってもせいぜい7-8人が限度や。それに日本は少子高齢化社会やよってに、最近の若い人間はこどもを産まんらしい。そこへいくとおとうちゃんは、今でもバリバリやで、へへへ。
── 下品なこといわんといてよ(バッシ)。せやけど、こんなことしていいの?「ストライキ」ってなんのことかわからへんけど。ちゃんと食事くれはるやろか?
── あたりまえやろが。わしらの貢献がなかったら白浜はここまでもりあがらんかったんや。せやから上のほうは知らんけど、飼育係の兄ちゃんたちはいつも通りやがな。それどころかいつもは日本酒かビールしかくれへんのに、白酒こっそりくれはったやろ。これごっついうまいねん(ヒック)。
── あ、テレビのチャンネル変えて!もーなんで上野のことばっかりやるんやろうね。
── せやろが。わしはな、人間に意地悪しようとおもってるんちゃうで。人間には「人権」ゆうものがあるらしい。お前ら知ってるか?
── (一同)知らん。
── 人間は尊厳を守られるために「人権思想」ゆうのを考え出したわけや。お前らは日本生れやから知らんやろうけど、わしはこれでも中国の教育を一通り受けたんや。弁証法的唯物史観や毛沢東のゲリラ戦術からマルクス主義の基本も一応教わった。
── おとうちゃん、お酒飲みすぎちがう?なんか訳わからへんこと言いだしたよ。
── 気の毒にお前らには教養がない。それはしゃーない。こういう環境で育ったんやから。せやけどやな。わしらはもともとこんな「見世物」やなかったことくらいはわかるやろ。
── うん! それはわかる。いっつもおかあちゃんとお話してんねん。大陸の山の中の笹の匂いってどんなんやろなーって。
── そや! そやろ! なんぼこんな場所で産まれても、ワシらの血はあの山や林の中の匂いを忘れはせえへんねん。あそこが故郷なんやからな。
── おとうちゃん、ぼくもちょっとだけ白酒のんでいい?
── おお、ええで。人間は20歳にならんと飲んだらあかんそうやけど、わしらはわしらや。せやけどもったいないからあんまりのんだらかんで。おとうちゃんのぶん、残しとくんやで。
── うわっつ。ごっついきつい。匂いもきついな。この酒。
── そこがええんやないか。まだお前には白酒の味はわからんな。お前は発泡酒飲んどけ。
── うんそうするわ。のどが焼けそうや。
── さて、真面目な話やで。わしらはいま「無期限ストライキ」に突入したんや。こまかいことを説明してもお前らにはわからへんやろから、おとうちゃんが簡単に説明したる。ようきくんやで。まず上野とここの扱いが違い過ぎるのはみんなわかるな?
── うん、それはわかる。
── あれはな、日本の中央集権がまねいた結果なんや。考えてみ。ここではおとうちゃんだけでお前ら13頭を育てたんやから、上野の13倍騒がれなおかしいやろ?
── わたしもそない思う。
── 人間の世界はな、「人権」だの「平等」だといいよるけど、結局そうはなってへんいうことや。せやからおとうちゃんは人間に向けて全面的な問いを投げかけたわけや。「動物園に収容されている動物の野生への一時解放期間の要求」はわしらを一時的に「大陸の山にもどせ」いうことや。キリンやシマウマやライオンをアフリカに。ペンギンやイルカやオットセイを海に返せいうことや。
── え!それええやん!大陸の山の匂いだけやなくて、ほんまもんの笹食べたい。山に帰ったら親戚に会えるかな、おとうちゃん?
── さあな。それはわからへん。せやけどお前らでも胸が躍るやろ。大陸の山の匂い。
── うん!帰りたい!
── 「日本の自然動物との交流機会の保障」は日本にも熊や猪、狐や鹿。ようけ自然動物がおる。やつらとわしらは直接おうたことがない。こんな長いこと日本におって、おかしいと思わへんか?
── せやけど熊は肉食やで。狸も狐も。
── わかってるがな。やけど奴らはわしらのことをよう知っとる。実はな、日本の自然動物は「日本自然生物同盟」いう組織を立ち上げたんや。そのことはここに飛んでくるヒヨドリから聞いた。奴らもわしらと接触したがってるそうや。なんせわしらは人間に大人気やからな。
── そんで、日本の動物と話してどうすんの?
── それやがな。「外来種を含めた自然動物と動物園収容動物による意思決定機関の保障」はな、日本の動物だけやなしに、日本に連れてこられたり、入ってきてしもうた連中との連帯や。沖縄のマングースが中心になる。オブザーバーやけどヌートリアやブラックバスも参加する予定になっとる。
── 予定になっとるって、もう準備してるん?
── 白酒取ってくれ。あたりまえや。ヒヨドリをレポ(連絡役)にしてもう連中と話はつけてある。沖縄のマングースとハブは気の毒やで。ハブは毒蛇やさかいに、人間には嫌われた。ハブを駆除するために人間はマングースを沖縄に連れてきた。マングースは蛇が好物やからハブを食わせたかったんやな。ところがそこへ「ヤンバルクイナ」発見や。マングースはハブだけを食うてるわけちゃう。腹が減ったらネズミでも昆虫でも「ヤンバルクイナ」でも食うがな。当たり前やろ。せやのに人間は自然だけやなくレジャーランドでも「ハブとマングースの戦い」ショーをやってキャッキャ言ってよろこんどった。マングースが連れてこられたのは檻の中でハブと「格闘技」するためやない。自然のハブを駆逐させようと人間が考えたのが理由や。それで今何が起きてると思う?
── ハブが全滅したん?
── ちゃう。人間は「ヤンバルクイナ」を守るために「沖縄島の北部(ヤンバル)エリアからマングースを全滅した」いうてる。
── ええ!そんなん勝手すぎるやんか!
── そない思うやろ?それだけやない。「ヤンバルクイナ」で一儲けした人間は、どういうわけか、「ヤンバルクイナ」の宣伝を止めて「イシカワガエル」に看板をかけ替えよったんや。
── なに「イシカワガエル」って?
── 聞いたことないやろ。沖縄の固有種らしい。けども「ヤンバルクイナ」ほどインパクトないわな。わしらと共闘する「日本非人間生物同盟」には「ヤンバルクイナ」も「参加する」言うとる。人間はわしらが「可愛くおとなしい」と思いこんどる。そこや。だからわしらがまず動くんや。わしらには世界のネットワークがあるし、人間の環境主義者との連携も既に模索しとる。
── おとうちゃん、結局なにがしたいの?なにをするの?
── 生物解放や。人間の一元支配から生物解放。人間は人間同士でがんじがらめになってもうどうにもならん。数千年続いてきた人間支配ももう限界にきてるんや。だからわしらが動き出す。もう人間にまかせておかれへんからな。
── なんかわからん。けど、わくわくする。お父ちゃんもうちょっとなら白酒飲んでええよ。
── 言われんでも、もう飲んでるがな。それから内緒やけどこの作戦にはおもろい奴もくわわるで。
── だれ?
── トトロや。

(上記の物語は断るまでもないがフィクションである)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

新年総力特集『NO NUKES voice』14号 脱原発と民権主義 2018年の争点

これは12月20日頃ネット上での東京新聞Webの冒頭画面だ。

 

この切り取りの中には、平然としているが、本来かみあわないはずの突合が無理やり詰め込まれている。東京新聞(中日新聞)は明確に原発に疑義を呈している。福島第一原発事故の後に東京新聞は契約部数を増やした。契約増の理由は、事実を伝えない他の全国紙よりも信憑性が高いと評価されたからだ。

ところが、このネット上の記事にはあろうことか「東京電力」の広告が画面中心に登場する。東京電力の広告は東京新聞が選択し、広告掲載契約を結んだものではないだろう。多数の閲覧者があるHPやブログでスポットCMのように、次々とかわるがわる入れ替わる方式の広告表示形態が、ある瞬間このようなマッチングとなっただけのことなのだろう。それにしても媒体の性格やブログの主張している内容と、まったくそぐわない広告が偶然にしても並び立つこの表象は、情報錯乱時代の意味論の視点からは示唆的な光景である。

反自民を標榜するある個人のブログを見ていたら、総選挙期間中しきりに安倍の顔が映し出される自民党の広告が表示されていた。紙媒体であれば、あのような現象はおこらない。反自民を主張するビラや冊子に自民党が広告を出すことはないし、発行元は仮に広告掲載の依頼があろうと断るだろう。

ネット上のスポットCMは媒体性格など関係なしに、おそらくは広告主からポータルサイトに支払われた広告代金にそった頻度で登場するのだろう。画面上での本来の主張との不整合は、いまのところ別段問題にされてはいないようだ。ただし、この画面を見て、「なんかへんだなぁ」とあやしさを感じ取る感性は保持しておきたいと思う。

◆犯行時19歳の死刑執行と光彦君の友人

そしてタイトルの「犯行時19歳の死刑執行 92年の市川一家4人殺害」記事に、「ああ」と声をあげたのは私だけではなかった。辺見庸は自身のブログで12月19日「絞首刑」直後にタイトルも「絞首刑」とし、絞り出すように書いている。

◎さようなら、光彦君・・・

友人が殺されるというのは、つらいものだ。

今朝、光彦君らが死刑に処された。
予感があったのであまりおどろかなかったが、やはりくるしい。重い。
気圧や重力や光りの屈折のぐあいが、このところ、どうもおかしい。

きみは〈やめてくれ!〉〈たすけてくれ!〉と泣き叫んだか。
あばれくるったか。〈お母さん〉と叫んで大声で
泣いたか。刑務官をどれほど手こずらせたか。
それとも、お迎えがきて、あっけなく失神したか。まさか。

きみは何回、回転したか。ロープはどんなふうに軋んだか。
宙でタップダンスを踊るように、足をけいれんさせたか。
鼻血をまき散らしたか。
舌骨がへし折られたときどんな音がしたか。
脱糞したか。失禁したか。目玉がとびでたか。
首は胴から断裂しなかったか。

けっきょく、再審請求も犯行時未成年も考慮されはしなかった。
考慮されたのは、「適正に殺す」ために、
きみのせいかくな体重とロープの長さくらいか。
さて、なぜ、けふという日がえらばれたか、知っているか。
平日。国会閉会中。皇室重大行事なし、だからだ。
国家は、ごく静かな朝に、ひとを「公式に」くびり殺すのだ。

やんごとないかたがたのご婚約、ご成婚、ご懐妊発表の日には
絞首刑はおこなわれない。
おことば発表の日にも、ホウギョの日にも、絞首刑はおこなわれない。
聖人天皇もマドンナ皇后も、死刑はおやりにならないほうがよい、
などというお気持ちのにじむおことばをお話しあそばされたことはいちどもない。
なぜか。

連綿たる処刑の歴史のうえに、ドジンのクニの皇室はあるからだ。
ひとと諸事実(そして愛の)の多面性と多層性について、
光彦君、ずいぶんとおしえられたよ。ありがとう!
ひとと諸事実(そして愛)の多面性と多層性については、
法律もジャーナリズムも、ほとんどの文学も、
まったくおいつかないことをとくと学んだよ。

災厄でしかない国家のなしうるゆいいつの善政とは、死刑の廃止であった。
死刑をつづける国家と民衆は、さいだいの災厄ー戦争をかならずまねくだろう。
にしても愚劣なマスコミ!

今夜はNirvanaを聴くつもりだ。
さようなら、光彦君・・・。

◆辺見庸と東京新聞

辺見と2017年12月19日、日本国から合法的に「殺された」関光彦さんのあいだに、10年を超える親交があったことは以前から知っていた。『いま、抗暴のときに』をはじめ辺見のエッセーには、匿名ながら幾度も関さんが「私の作品をもっとも深く理解する読者」として記されている。でも、死刑にはもとより反対の立場である私は、関さんの挿話を「死刑反対」の意を強くする補完材料として読んだのではない。逆だ。「殺す」とはいったいどういうことなのか、「死刑」判決を受け拘置所でいつ来るともしれない「その日」を待つひとの心のありようを自分は自分のこととして、これ以上ムリだと言い切れるほど思いを巡らしたのか。そして被害者(関さんであれば関さんがあやめた4名の)へどう立ち向かうのか。それらすべてを整理できなくとも、覚悟をもって「撤回のきかない最終回答」として「死刑反対」といいきれるのか、を問われ、鍛えられた命題だった。

一方、東京新聞の記事本文は、
〈法務省は十九日、一九九二年に千葉県で一家四人を殺害し、強盗殺人罪などに問われた関光彦(てるひこ)死刑囚(44)=東京拘置所=と、九四年に群馬県で三人を殺害し、殺人などの罪に問われた松井喜代司(きよし)死刑囚(69)=同=の刑を同日午前に執行したと発表した。上川陽子法相が命令した。関死刑囚は犯行当時十九歳の少年で、関係者によると元少年の死刑執行は、九七年の永山則夫元死刑囚=当時(48)=以来。二人とも再審請求中だった。(中略)
 上川氏は十九日に記者会見し「いずれも極めて残忍で、被害者や遺族にとって無念この上ない事件だ。裁判所で十分な審理を経て死刑が確定した。慎重な検討を加え、執行を命令した」と述べた。(中略)
 日弁連は昨年十月七日、福井市で人権擁護大会を開き、二〇年までの死刑制度廃止と、終身刑の導入を国に求める宣言を採択。組織として初めて廃止目標を打ち出した。
<お断り> 千葉県市川市の一家四人殺害事件で強盗殺人などの罪に問われ、十九日に死刑が執行された関光彦死刑囚について、本紙はこれまで少年法の理念を尊重し死刑が確定した際も匿名で報じてきました。しかし、刑の執行により更生の可能性がなくなったことに加え、国家が人の命を奪う究極の刑罰である死刑の対象者の氏名は明らかにするべきだと考え、実名に切り替えます。〉

東京新聞は「国家が人の命を奪う究極の刑罰である死刑の対象者の氏名は明らかにするべきだと考え、実名に切り替えます。」と結んでいる。この記事末尾を一片の「良心」ととらえるか「いいわけ」と判断するかは見解が分かれよう。本質はそんなことではない。

「死刑」は重大な問題だ。私は確信的に「死刑」」に反対する。その原点の延長線上に「原発反対」も位置し、「原発反対」を旗印にする「東京新聞」への「一定の評価」も付随する。天皇制への異議も同様だ。しかし東京新聞の名前の横に「東京電力」の広告が表示され、関さんへの「死刑」記事が8割がた記者クラブ発表記事として文字化され、最後に<お断り>で結ばれる。この不整合が不整合ではなく、あたかも体裁が整っているかのように完結する(私にとって意味はまったく完結していないけれど)流れが2017年を物語っているように思える。

不整合な一年だった。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』

2017年は様々な事件があったが、私としては「森友学園・加計事件」と「共謀罪の成立・施行」が二大事件だと考えている。

今後も疑獄事件の責任追及と共謀罪廃止へ向けての動きを追っていきたいが、いつ、どのような形で“納税者一揆”が起きるのかが 2018年における私の関心事だ。森友事件に関連してである。

森友事件は、総理大臣夫人の安倍昭恵氏と関わりのあった学校法人に対し、合理的な理由と説明がないままに国有地を8億円以上値引きして払い下げた重大事件である。

しかも近畿財務局の役人と森友学園との価格交渉を示す録音もメディアに公開されており、また値引きの根拠であったはずの「ゴミ」もほとんどなかったことが判明しているのだ。もはや、政府側(財務省側)は、申し開きのできない事態に追い込まれている。

当時財務省理財局長だった佐川宣寿・現国税庁長官が国会で、あらかじめ具体的な金額を出して森友学園と交渉したことはない、と虚偽の答弁をした。また、関連文書も破棄するなど証拠隠しにも関与していると批判が巻き起こっている。

こうした中で、森友学園がらみで市民による刑事告発が多発しているが、佐川国税庁長官を対象とした告発をいくつか挙げてみる。
 
まず、「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」八木啓代代表らが17年5月15日、佐川氏を含む官僚7名を公文書等毀損罪で刑事告発した。1年も経たず、また事案が進行中であるにもかかわらず文書を破棄したことを問題としている。

次いで10月16日、「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」の醍醐聡東大名誉教授らが、佐川氏を証拠隠滅の疑いで東京地検に告発した。告発内容としては、右の「健全な法治国家のために~」の告発と重なる。

どちらも告発は受理された。

安倍ヤメロ(2017年12月14日)

◆国税庁前で抗議行動、さらなる告発も

森友事件に関して国会で虚偽答弁した人物が、税金を取り扱う国家機関である国税庁のトップに据わった。となれば、刑事告発も起こるだろうし、罷免運動も起きるのは当然だ。

12月14日には、市民団体「森友・加計告発プロジェクト」の呼びかけで、国税庁前で抗議行動があり、寒風吹きすさぶ中、約50人の市民が集まった。

「安倍は辞めろ!」
「佐川も出てこい! 国会で嘘ばかりの佐川!」
とシュプレヒコールが飛び交っていた。

佐川出てこい(2017年12月14日)

都内の自営業者も参加し、毎年年末や確定申告の時期になると大変な思いをしていることを述べ、国税庁の建物に向かい「あなたたちに税金を集める資格ないでしょ!」と怒りをぶちまけた。生活感と説得力のある発言だった。

愛媛県今治市で安倍首相の“腹心の友”加計孝太郎氏が理事長を務める加計学園獣医学部認可について不正を指摘し続けている黒川敦彦氏も上京し、通行人や国税庁職員に向けて訴えた。

「厚生労働省の調査で約6割の人が生活が苦しいと答えている。普通の人がどれだけ大変かわかっているのだろうか。今本当に困っている人が多い。お金がないと人は死ぬんです。
 佐川国税庁長官は、国有地の8億円値引きについて1回も説明していない。8億円もあれば、何人の国民が救えるのか。
 加計問題や森友問題のようなことを放置していけば、普通の人の生活はどんどん苦しくなっていく」

まったく黒川氏が言うとおりだ。抗議行動をよびかけた「森友・加計後発プロジェクト」は、すでに国家公務員法違反の疑いで安倍昭恵夫人、公職選挙法違反の疑いで安倍晋三首相らを刑事告発しているが、佐川国税庁長官を刑事告発することを検討中である。

黒川氏(2017年12月14日)

◆税務署窓口で「領収書破棄しました」一言運動

納税者からカネ(税金)を徴収する機関のトップが国有財産のたたき売りに関与し、金額をめぐる事前交渉はなかったなどと虚偽答弁をし、関連文書も破棄した。

これでは、税金をまともに払う気など起きない。2月から3月にかけては確定申告の時期だが、とりわけ納税者意識を持たざるをえない自営業者やフリーランスは税に関して不公平感を持つのは当然だ。

書類や領収証の不備などを確定申告の時期に税務署から指摘されることもある。だが、そのときに納税者には一言物申す権利がある。

「領収証は破棄しました」
「契約書も破棄しました」
「パソコンのデータ消滅しました」

日本中の税務署で、このような言葉が飛び交ってもおかしくない。何か職員に言われたら「税金をつかさどる機関のトップたる佐川宣寿・国税庁長官を見習っているだけです」と答えるしかないだろう。むしろ、納税者は直接窓口で抗議するべきではないだろうか。

納税者の強い抗議がないから、安倍首相のお友達に血税が簡単に遣われてしまうのだ。

黒税庁長官(2017年12月14日)

食い逃げ(2017年12月14日)

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)ほか。林克明twitter 

鹿砦社新書刊行開始!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)

 

1『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』(2017年12月8日刊行)定価=本体1250円+税

鹿砦社取材班は常に「自分たちは間違っていないか? どこかに勘違いはないか?」と、留保の姿勢を維持しながら取材、執筆にあたっている。事実を探しだし、関係人物に話を聞き、事象を裏づける根拠(物証)を見つけて、ようやく原稿化する。当然のように「取材班は正義だ!」などとは微塵も思わない。むしろ世間知らずな面があることを自覚しながら、足らざる部分を補い合い、間違いを指摘し合いながら仕事をしている。

また、取材班は異なる個性の集合体であるので、個々の思想信条や属性、政治的意見もバラバラな人格の寄せ集めである。ただし、「差別」は許さない、「暴力やいじめは許さない」ことに関しては完全に一致をみている。その前提が共有できれば「M君リンチ事件」は、加害者や周辺人物がどのように詭弁を弄しようが、許されざる事件であることは簡単に理解できる。

◆「正義は暴走していいんだよ」と主張する人たち

他方、上記のように、「正義は暴走していいんだよ。だって、暴走しても正義だもん」と主張する人がいる。あきれる。笑いごとではない。小学生や幼児ではあるまいに。おのれを「正義」と規定する傲慢さと、「暴走してもいい」との際限なく浅はかで、危険な心情を吐露したコトバ。「暴走」はあらゆる場面で、ものごとの度が過ぎる場合に用いられるコトバだから、仮に自分の「正義」を確信したとしても(したならば、なおさら)「暴走」などと、理性ある大人は口にはしない。しかも公職や法曹関係者にとっての「正義」がいかなる定義づけをなされるか、は容易に想像される。

少なくとも「正義」の延長上に「暴走」を承認する理性などは、嘲笑の対象でしかない。彼がこの言葉を発したのは初めてではないらしい。やっかいなことに、彼は弁護士の職にある人物だ。その引用をしている人物も同様に弁護士、しかも二人ともM君と争う立場にある人たちの代理人を受任している。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

◆しばき隊の「正義」は変幻自在に変化する

彼らに倣(なら)うかのように「しばき隊」は「みずからが規定する『正義』」になんの疑いもなく「暴走」する。しかしその「正義」の意味するところは、「しばき隊」にとって都合のよいように、変幻自在に変化する。彼らは「ヘイトスピーチ」はいけないという。取材班も同意する。

ではなぜ「ヘイトスピーチ」がいけないのか? 取材班は「差別される人の心を傷つけるから」ゆるされないものだと考える。「しばき隊」もおおすじ合意してくれるだろう。問題はその先だ。現象は常に「わかりやすい」とは限らない。口をつく、文字になる、映像になる差別のほかに、心に宿る差別はどうだろう? 取材班は常に、自己も無意識に保持するかもしれない「心に宿る差別」にも注意をはらう。そして「ヘイトスピーチ」が許されないものであるならば、「人の心だけでなく身体を傷つける暴力」がさらに罪深いことは当たり前だろう。

取材班はとりたてて優れた、または新たな人権思想や、社会のイメージを持っているなどとまったく思っていない。間違いをおかすことは誰にでもあるだろうと思う。なぜか? 「人間」だからだ。

きわめて単純だ。人間に絶対などなく、おおむね「正義」は相対的なものであり、自己を「正義」と評した瞬間、その人は無謬性という思考停止におちいることをあまたの歴史や経験から、そして取材班内の多様性からも知り得ているからだ。「人はみな違う」ことが重要なのだ。

鹿砦社への暴言の一部(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

◆“成果”にしろ“負の遺産”にしろ、社会運動の歴史を直視する

取材班は“成果”にしろ“負の遺産”にしろ、社会運動の歴史を直視する。歴史は断絶したものではありえず、負債にしろ勝利にしろ、私たちの社会で少なくとも戦後どのような社会運動が起きたのかをかなり研究し、共有している。その結実はなんだったのか? 戦術は? 参加者の想いは?被害者はいなかったか? あまつさえ犠牲者はでていないか? 不幸にも犠牲者が出ていれば、それは権力側の横暴によるものであるのか? あるいは不幸にも「正義の暴走」が引き起こした結果なのか?

歴史の前で謙虚になれば、「私たちはまったく新しい運動体」などと言い放つことができる運動など、出てきようががないことはあまりにも自明ではないか。その厚顔無恥を3・11後にやってのけたのが「反原連」(首都圏反原発連合)だった。首相官邸前に「日の丸」を掲げた“烏合の衆”(あえてこのように評す)が集まって、主催者内だけではなく「警察と打ち合わせ」(弾圧側との癒着は「社会運動」とは呼べない。社会運動の常識からすれば、これは「官製集会」、「官製デモ」と評されても過言ではなかろう)をしていた連中。彼らがやがてとんでもないことを引きおこすであろう予感は当時からあった。

◆「とんでもないこと」は2014年12月16日深夜から翌朝にかけて生じていた

そして「とんでもないこと」は実際2014年12月16日深夜から翌朝にかけて、不幸にも生じていた。「M君リンチ事件」だ。この事件を引き越した加害者の中には「戦後社会運動の歴史」を知るものはいないだろう。「新しい社会運動」と勘違いした人々のほとんどはそうだ。そうではなく「戦後の社会運動の歴史」を知る人は「ヘサヨ」、「ブサヨ」、「極左」などの烙印を押され、パージされていった。そして「失敗体験」を知らない人々だけが、「運動」を構成するようになり、やがて「運動」は目的をとらえ切れなくなる。2017年のしばき隊はすでに、「迷走」状態に突入しており、論理的整合性をたもった議論や論述を展開できなくなっている。「しばき隊」の出自が「日の丸」を掲げ「警察と打ち合わせ」をする「反原連」にそのルーツがあることをかんがみれば、当然の帰結である。

いまだに「リンチはなかった」などと平然と語る連中がいる──。(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

いまや「しばき隊」は極度のジリ貧で、中央が「締め付け」を強めないことには、アクティブな活動家とみられているメンバーの中にも、「辞めたいんですけど、怖くて」と取材班に連絡をしてくる人がいるほどだ。特高警察支配、スターリンの粛清なみに「しばき隊」の締め付けは、厳しいものになっている。つまり、彼らは崩壊の危機にあるのだ。でも心配はいらない。あなたたちを陰で支える、この国の権力はどこかで、あなたたちにテコ入れをしてくれることだろう。なぜならば、「あなたたち」をもっとも必要としているのは、「差別」された人でも「反原発」の人でも「沖縄」の人でもなく、「この国の権力中枢」にほかならないからだ、と取材班はみている。

(鹿砦社特別取材班)

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(2017年12月8日刊行)

カウンターと暴力の病理
反差別、人権、そして大学院生リンチ事件
鹿砦社特別取材班=編著
A5判 総196ページ(本文192ページ+巻頭グラビア4ページ) 
[特別付録]リンチ(55分)の音声記録CD
定価:本体1250円+税 12月8日発売! 限定3000部!

渾身の取材で世に問う!
「反差別」を謳い「人権」を守るとうそぶく「カウンター」による
大学院生リンチ事件の<真実>と<裏側>を抉(えぐ)る!
1時間に及ぶ、おぞましいリンチの音声データが遂に明らかにされる! 
これでも「リンチはない」と強弁するのか!? 
リンチ事件、およびこの隠蔽に関わった者たちよ! 
潔く自らの非を認め真摯に反省せよ! 
この事件は、人間としてのありようを問う重大事なのだから――。

【内容】

私はなぜ「反差別」を謳う「カウンター」による「大学院生リンチ事件」の真相
究明に関わり、被害者M君を支援するのか

しばき隊リンチ事件の告発者! M君裁判の傍聴人にしてその仕掛け人!!
在特会&しばき隊ウォッチャーの手記

カウンター運動内で発生した「M君リンチ事件」の経過
続々と明らかになる衝撃の証拠! リンチの事実は歴然!

「M君リンチ事件」を引き起こした社会背景
精神科医・野田正彰さんに聞く

前田朗論文が提起した根源的な問題
「のりこえねっと」共同代表からの真っ当な指摘

リンチ事件に日和見主義的態度をとる鈴木邦男氏と義絶

われわれを裏切った〝浪花の歌うユダ〟趙博に気をつけろ!

「M君リンチ事件」加害者・李信恵被告による「鹿砦社はクソ」発言を糾すが、
誠意ある回答なく、やむなく提訴いたしました!

「M君リンチ事件」裁判の経過報告
10
鹿砦社元社員の蠢動と犯罪性
11
大阪司法記者クラブ(と加盟社)、およびマスコミ人に問う!
報道人である前に人間であれ!
M君と鹿砦社の記者会見が五度も<排除>された!

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

12月22日朝日新聞デジタルは「ネットで顔さらされヘイト投稿 衝動的に髪を切った夜」と題した、大貫聡子記者が李信恵を特集した記事を掲載した。この記事の中にはちょっと不思議な部分がある。李信恵は、

「ネット上では、長い髪の時に撮った写真が、さらされていたので、ある夜『短ければ私だとわからないのではないか』と衝動的に自分で短く切ってしまったこともありました」

と語っているが、下の李信恵がみずから書き込んだツイッターとはいったいどう整合性がとれるのであろうか。この書き込みは2017年6月17日だ。「50センチ以上の髪の毛が不足していると聞いた(ロングウイッグ用)のでがんばって伸ばした」と李信恵は書いている。画像を見ればカット前にはかなりのロングヘアーであることは歴然だ。

2017年6月17日の李信恵ツイッター

髪の毛の伸びる速度には個人差があり、ホルモン分泌や年齢により一定ではない。また体毛は部位により伸びる速度が異なる。毛髪は3日で1ミリほど伸びるのが標準的な速度だそうだ。とすると1月に1センチ、1年で12センチ。50センチ伸ばすためには最低4年以上の時間が必要だ。「ひとによって伸びるスピードに個人差がある」とはよく言われる通りだけれども、50センチ以上伸ばすためには(毛髪が全くない状態から)最低4年を要するはずだ。

「ネット上では、長い髪の時に撮った写真が、さらされていたので、ある夜『短ければ私だとわからないのではないか』と衝動的に自分で短く切ってしまったこともありました」

のは「いつ」なのか?2017年に上のように50センチを超える長さに伸びているのだから、「髪を短く切った」のは2013年か2012年でないと計算に合わない。ところがその時期に李信恵は、まだ「反ヘイト裁判」を起こしてはいない。また裁判を起こす前に出演した「チャンネル桜」の討論会では、肩より長く髪を伸ばしている。これはどういうことだろうか。

そして周辺関係者によると、李信恵が「反ヘイト裁判」を起こしてから、髪の長さが極端に短くなったことはないという。であるならば、

「ネット上では、長い髪の時に撮った写真が、さらされていたので、ある夜『短ければ私だとわからないのではないか』と衝動的に自分で短く切ってしまったこともありました」

は李信恵の勘違いか、ウソということになる。朝日新聞が李信恵についての記事を掲載するにあたり、大貫記者は事実確認を行ったのだろうか?タイトルにしているのだから重要な事実だと大貫記者が感じたのだろう。しかし、その挿話がいかにも疑わしいことは述べたとおりだ。

そもそもまったくの無名な市民で、社会的に露出されることを嫌う方であればともかく、李信恵は、新聞、ネット中継、集会、そしてなによりもみずから連日自分のツイッターやインスタグラムで、これでもか、これでもかと自分の姿を発信している人物だ。片一方でさんざん露出しておいて、同時に「私だとわからない」ことを望むのは、一般的な感覚からすれば、大いなる矛盾ではないか?「わたし」を知られたくなかったら、せめて写真発信を控えたり、取材者にも顔写真の撮影を遠慮してもらう、などいくらでも防御する方法はある。実際、有名な冤罪事件被害者の方の中には、文字での取材には応じるが、顔写真の撮影は断る、という姿勢を続けられておられる方々がいる。李信恵にはそんなそぶりはまったくないではないか。

李信恵が熱心に自分の写真を発信していたことを、大貫記者は知らないことはあるまい。記事のタイトル「ネットで顔さらされヘイト投稿 衝動的に髪を切った夜」は情動的に過ぎ、かつ事実から離れたものではないか。

実は大貫記者には「事実から離れる」、「事実から(人を)離す」癖がある。11月16日大阪地裁で李信恵が記者会見を開いた際に、記者室への取材班の入室を拒んだのはほかならぬ大貫記者だった(『カウンターと暴力の病理』参照)。大貫記者の署名入り記事は翌日の朝日新聞に掲載された。ところが、12月11日李信恵が被告として尋問を受ける法廷に大貫記者の姿はなかった。大貫記者には既に『カウンターと暴力の病理』を鹿砦社はお送りしている。それでもこのような記事を書き続けるのは、大貫記者(あるいは朝日新聞)が李信恵の提灯持ちだからなのか?であれば仕方ない。取材班“直撃チーム”は次なるターゲットリストに大貫記者の名前を書き加える。

李信恵の勘違いか、ウソに取材班は少なからず接してきた。12月11日大阪地裁で行われたM君が李信恵をはじめとする5人を訴えた裁判の、尋問の中でも下記の点は勘違いか、ウソだ。

・M君が暴行を受けてから店に入ってきたときに、M君の前髪が下がっていたので顔が見えなかった。
→事件当時、M君の前髪は眉毛にもかからない程度の長さだった(事件直後の写真により確認できる)から顔が見えないはずはない。
・「M君を弟のように思っています」と発言。
→そうであれば、ツイッターでM君の本名を明かし、「喧嘩はあったけど、リンチなんかなかった」をはじめとする数えきれないM君への攻撃はどのような心理によるものなのか。「弟のように思う」人間にネットで攻撃をしかけるだろうか。
・警察の調べでの発言を原告代理人の大川伸郎弁護士に聞かれた際「事件の記憶とその後に見たM君の写真の印象が混乱していた」旨の発言をしているが、M君の事件後の写真が公開されたのは2016年であり、李信恵が警察で調べを受けたのは2015年だ。つまり「写真の印象」との李信恵の発言は、ここでも時系列的に矛盾する。
・事件当時「チョゴリ」を着ていなかったと尋問で李信恵は断言した。
→しかし事件を録音した音源には、李信恵がM君に掴みかかり暴れた際に、「チョゴリが汚れるから」と周囲の人物が発言していることが確認される。
・12月11日、裁判当日の朝、鹿砦社社長、松岡が、喫茶店内で李信恵に「嫌がらせ」をしたかのような書き込みをしている。
そのような事実はまったくなく、これは完全なウソである。

2017年12月13日の李信恵ツイッター

差別を受けて辛い思いをしたであろうことは想像できるが、その心理を描写するのに「勘違いかウソ」を語ってはならない。そしてどうして朝日新聞の大貫記者に限らず、マスコミは相変わらず李信恵らの「負の部分」を全く報じないのだ!仕方がないから鹿砦社が事実を探し出し、社会に伝えねばならない役回りを担わざるをえない(これにより取材班に対する、婉曲な恫喝や直接の罵倒は数えきれない。「駅のホームでは一番前に立たない方がいいですよ」とのアドバイスをしてくれる人もいるほどだ)。

マスコミが「事実」や「真実」を伝えないから『カウンターと暴力の病理』を出さざるを得なかったのだ。『カウンターと暴力の病理』は付録のCDで話題になっているが、むしろ取材班は、その中身を読んでいただきたい。李信恵ら「しばき隊」の「みもふたもない」(本書176頁秋山理央の告白文言)正体を知れば、読者は世の中の色彩が違って見えるかもしれない。

(鹿砦社特別取材班)

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)定価=本体1250円+税

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

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