今まで記事の中で散々しばき隊関係者(有田芳生議員、中沢けい氏、北原みのり氏)を批判してきた。ただ、ここまでこきおろしてきた筆者も学生時代右派系のまとめサイトをかなり読んでいたので正直なところ人のことを言える立場ではない。その点自身が大幅に意見を変えているにもかかわらず、自身の「変節」に言及せずに今度は左の立場から彼らを批判し続けたことは不誠実であると感じた。深くお詫び申し上げたい。ただ、筆者自身右派系サイトを見ることはなくなったが、頭がよくなった気は全くしない。変わったことといえば、見ていたときより未来の選択肢が激減したぐらいである……

◆「ネットde真実」と揶揄された「国民が知らない反日の実態」

マックでポテトを食べながら「国民が知らない反日の実態」というサイトを通っていた大学のサークルの先輩から紹介されたことがある。民主党政権時代の頃だったミ批判、著名な保守思想家(エドマンド・バーク等)の紹介など内容は多岐に渡る。「国民が知らない反日の実態」は総計1千万を優に超えるアクセス数を誇るまとめサイトだ。今でも頻繁に更新している。安倍、麻生首相称賛から「反日」マスコ。相当膨大なコンテンツなので、全部見るのはよほど暇でない限り無理だと思われる。

筆者は暇な中流出身の学生(MARCHレベルの私大の出身)だったのでかなりの時間それを見るのに費すことができた。安倍と麻生は本当は凄かったのか(どちらも0年代に短期政権で終わっていたイメージが強かった)と興奮して見ていたのを覚えている。「ネットde真実」と揶揄されている姿そのものだ。ちなみに李信恵氏がチャンネル桜に出演しているのを見たこともある。

だから20~30代の若年層で自民党支持が多かったという調査結果を聞いても、個人的に全く違和感はない。特に大学生はアベノミクス効果で以前より大手企業への内定率が上がっているので歓迎する人が圧倒的に多いだろう。

渡瀬裕哉『トランプの黒幕』(祥伝社2017年)

◆「インテリンチ」という偏見

アメリカ共和党保守派とつながりがあり、トランプ当選を選挙前からデータに基づいて言い当てていた保守論客の渡瀬裕哉氏は「メディア関係者や学識者がクーラーの効いた執務室で民衆に対して行う言論的なハラスメント」を著書『トランプの黒幕』(祥伝社2017年)で「インテリンチ」と呼称している。渡瀬氏の持論や思想を全肯定はしないが、便利な用語だと思われる。

『トランプの黒幕』によるとトランプ支持の共和党支持者は民主党支持者よりも概してお金持ちであり、白人の大卒層に限っていえばヒラリー・クリントンよりもトランプに投票したのだという。そのことからトランプ支持者の「白人・低学歴・低所得・不満を抱えた男性ブルーカラー」という選挙前のリベラルなメディアが撒いたイメージは一面的で過剰なフレーム・アップであったと主張している。トランプに投票した人は思ったより「普通」もしくは「普通以上」の人たちだったのだ。

◆インテリ強者と愛国弱者

日本でも同様のことが言えると思う。在特会のメンバーを指して「非正規の労働者で、経済生活の不安定な人が多い」と安田浩一氏は以前指摘していた。しかし『日本型排外主義』という著書がある徳島大学の樋口直人准教授は、むしろ在特会参加者は大学卒業者が多く、雇用形態でも正社員が多いと指摘している。両者の取材対象にズレがあるという指摘もあるが、こちらも思ったより「普通」の人たちが在特会の活動に入っていたようだ。

五野井郁夫Twitterより

実際、2014年授業中に従軍慰安婦問題について扱った韓国映画「終わらない戦争」を上映した准教授にたいして、その内容を産経新聞に訴えるという事件があった。各方面に凄まじい萎縮効果を与えたが、これは広島大学という名門国立大学在学中の学生が起こした事件だった。

いわゆる「ネトウヨ」が社会的弱者であったほうが、リベラルな大手マスコミにとって彼らを自分たちとなんら関係のない異質な人たちとして切断することができて好都合だったのかもしれない。

◆遊離したリベラル・エリート

M君リンチ事件を見ても、しばき隊のメンバーやその周辺の支援者も大卒ないし社会的エリート(大学教授、ジャーナリスト、弁護士など)が相当数いる。いわゆる「ネトウヨ」に対する偏見をむき出しにしているものも少なくない。

安田浩一Twitterより

蔑視の対象はいわゆる「ネトウヨ」だけではない場合もある。ただ、しばき隊関係者ではない。個人的な体験になるが、某旧帝大の大学院を卒業し、いわゆる「アカヒ」(朝日新聞のこと)新聞に入社したインテリが入社前に「脱原発運動なんてクソ」と言っていたと同期入社の方がぼやいていた。意外に思われるかもしれないが、実際そういう人はいる。メディア自体正社員であれば給料の高いところが多いが、「アカヒ」新聞の給与やその他待遇は他のメディアを圧倒しており、自身の本来の政治的立ち位置は無視できるレベルのものだからだ。

リベラル・エリートが左右の運動家および一般市民にたいして蔑視感情を持ち続ける限り、潜在的な支持層が離れていく一方、自分たちと価値観や階層の近い成功した「リベラル保守」を求めて保守化を進めていくことになるだろう。

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

12月8日発売『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチの音声記録CD(55分)

11月25日付けの朝日新聞によれば、京都市は京都大学に対して同大吉田キャンパスの立て看板が「京都市の景観を守る条例」に違反する旨の行政指導を行っているという。

11月25日付け朝日新聞

◆京大もいよいよ来るところまで来た

「京都市の景観を守る条例」を使うとは、また姑息な言い訳を探し出したものだ。「自由な学風」と言われた京都大学も「大学総右傾化」に漏れず、いよいよ学生自治の最終的破壊に取り掛かり始めた。

京大では昨年半日だけの「バリケードストライキ」が行われたが、それに関わった京大生は、まず無期停学になり、次いで「退学処分」になった。京大生、学外者を含めて、京大には氏名を明示して「京都大学敷地内への立ち入りを禁止の通告」と仰々しい貼り紙がある。この手の氏名まで特定しての「立ち入り禁止」のお触れは、明治大学で目にしたことがあるが、たった半日の「バリケードストライキ」で退学プラス敷地内立ち入り禁止処分を出すとは、京大もいよいよ来るところまで来たと言えよう。

現在の京大山極壽一総長は霊長類の研究者として知られており、総長就任の直前に元京大教授だった方にうかがったら「山極は本物のゴリラですわ」と好意的に評価されていた。どちらかといえば政治とはあまり縁がなく、純粋な研究者との印象が強かったようだ。

京大だけでなく、全国の大学で大学自治の喪失、「産学共同」の名のもとに大企業の学内侵入(あるいは招聘)はもう当たり前のように進行しているので、学生に「自治」や「権利」などと話をしてみても反応するのは100人に1人いるかいないか、というのが今日の状況だ。純粋な表情で無垢そうな体の細い若者たちは、全体におとなしく、声が小さく、選挙権を得ると自民党に投票する傾向がある。

そこにもってきて「京都市の景観を守る条例」を引き合いに出すとは、京大当局と京都市の連携がなに恥じることなく愚かな方向に邁進していることのあかしだ。京大当局の本音は「学生自治を完全に破壊しつくして、学外からの研究費獲得のためのより良い環境づくりを進めたい。そこで京都市さん、一肌脱いでもらえまへんやろうか」だ。京都市は「簡単なことどす。任しておくんなはれ」と「景観を守る条例」を引き合いに「京大はん、ちょっと立て看なんとなんとかなりまへんやろか?」と京都伝統のうち最も悪い部分を丸出しに「芝居」を打つ。

見え見えだ。京都に暫く住んでみれば行政と地域や市議会と企業などの関係で、京大―京都市で繰り広げられる「芝居」のようなことがしょっちゅう起こっていることは勘の鋭い人ならすぐにわかる。

◆IT化で進行する「本来の大学のありようの放棄」

京都は狭い盆地の中に多くの大学が集中し「大学のまち」と呼ばれることがあるほど学生が多い。近年観光旅行客の増加で影が薄くはなったが、京都市内の大学生人口比率は相当高く、学生が居ることを前提に成り立っている商売(主として賃貸マンション)も少なくない。一時は大学の郊外志向時代があり同志社大学や立命館大学などの私立大学は京都市外に広いキャンパスを求めたが、東京でも都心回帰が起こっているように、同志社は文系学部をすべて元の(今出川)キャンパスに戻したり、京都学園大学(名前は京都学園だが所在地は亀岡市だった)が念願の京都市入りを果たしたり市内への流入を目論む大学も少なくない。

それにしても大学の「景観」や美しさとは、立て看板一つない、貼り紙一つない、学生活動も低調で、入学したらすぐに「キャリア」という間違った英単語で指導される「就職活動に目が向けられる様子にあるのだろうか。新しく建てられた大学の教室にはLANケーブルの端子とコンセントが標準装備された机を目にする。当然パソコンの利用を前提としてのことだ。わたしにはあの設計が、「本来の大学のありようの放棄」に思えて仕方がない。講義中にパソコンを開かせる大学教員の神経がわからない。

講義中のパソコン使用は、工学や電子工学など一部の理系講義を除けば、わからない意味をインターネットで調べる「カンニング」の推奨であり、「考えること」、「調べること」を放棄させているのではないか。もっともパソコンを使わせなくても大教室でのマスプロ講義は昔から真剣な学問の対象とはなりえなかったけれども。そして「景観条例」は企業の宣伝を規制するために作られた条例ではなかったのか。

◆大学の主人公は「学生」から「カネ」へ

大学の主人公は「学生」であるはずだ。それがいつのころからか、学生の体だけは確かに学内にあるけれども、本質は「カネ」が主人公の位置を奪いとった。京大だけでなく、若者が手なずけられやすくなった時代を歓迎し、安堵している向きも経済界や与党を中心に多かろう。しかし、彼らは必ず高いツケを払わされる運命にある。いやこの社会全体が間もなくとてつもない負債の返済を迫られる。

未来があるはずの若者ならば、どんな状況であろうが「不満」や「不条理」を感じ取るのがヒト種の動物的な生理反応だ。そんなものに国境はない。若者が現状に安堵し、肯定し始めるのは、とりもなおさず社会の後退と終焉への思考なき暴走を意味するのではないか。それを期待し喜んでいる大学当局。例によって私の「考えすぎ」悪癖にすぎないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』定価=本体2800円+税

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』

「本書は私たちにとっての『遺言』、あるいは〈政治的遺言〉と言っても過言ではありません。そのつもりで、いつかは若い時の自らの行動や経験をまとめようと思い長年かけて書き綴ってきました」

2017年11月1日、『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』(編著者・松岡利康さん、垣沼真一さん)が鹿砦社より発刊。それにともない20日、出版記念懇親会が、100名超を集めた関西(11月12日。これは本書の底流となっている松岡さんの先輩の児童文学作家・芝田勝茂さんの講演会〔同志社大学学友会倶楽部主催〕ですが、これに間に合わせるために本書が刊行されたそうです)に続き、東京でも30名ほどを集めて開催された。

「あとがきにかえて──」で松岡さんは、本書について冒頭のように説明している。

「全学的、全戦線的にヘゲモニーを貫徹するという〈革命的敗北主義〉」

巻頭では、ニューヨーク州立大学教授で元同志社大学学友会委員長・矢谷暢一郎さんによる特別寄稿が掲載されており、そこには「読みながら時々息詰まって先に進めないのは、レジスタンスのパリで生き残ったジャン・タルジューに似て、生き残った作者自身の悔恨と苦悩に満ちた〈遺書〉を後に続く世代に残すために書かなければならなかった作業を、現在形で読むことから来ている」と記されている。

集会の終盤で議論に応じる松岡利康さん。「僕はほとんどノンセクト暮らし。しかも僕らの頃は、赤軍色は薄れていた」

1972年生まれで、超氷河期・団塊ジュニア・第2次ベビーブーム世代などと呼ばれるところの私は、周囲の同世代や女性による60・70年安保(闘争)世代に対する批判的な声を耳にし続けてきた。だが、個人的には広くおつきあいさせていただくなか、彼らは一定の「役割」を果たしたが、権力によって意図的に追いつめられたと考えている。そして、彼らに惹かれながら、彼らの「自由を求める精神・思想・方法論」などのよいところを自分こそが引き継ぎたいと願っているのだ。また、そのような視点で、彼ら世代が手がける書籍を読んでもきた。

『遙かなる一九七〇年代─京都──学生運動解体期の物語と記憶』は、松岡さんや矢谷さんが語るように、当時の行動・経験・悔恨・苦悩が〈遺言〉として、ある種赤裸々に、率直に記されている。個人的には、事実や知識を得ていくことにもちろん関心はあり、意外なつながりを発見するなどして喜びを感じたりもするが、それ以上に「真実」、そこにいたったり振り返ったりした時の感覚・思考などに関心があるのだ。それは、自分に活動家だという意識があり、現在の運動の苦しさを打破する鍵を探しているからかもしれない。本書を読了し、それらが多く書かれていると思った私は、ぜひ、本書を50代以下や女性たちにも読んでほしいと願う。同世代、特に関西にいた人にとって、より興味深いものであろうことはいうまでもない。本書をもとに議論や振り返りが盛り上がるとさらによいだろう。

たとえば松岡さんは、比較思想史家・早稲田大学教授で元叛旗派の高橋順一さんいわく「奇妙な情熱」でもって、第3章「われわれの内なる〈一九七〇年代〉」で、「私たちの共通の想いは、闘わずして腐臭を放つより、最後の最後まで闘い抜いて解体しよう、ということだった。これは、私たちが最先頭で闘い抜くことで、仮に敗北することはあったにしても、全学的、全戦線的にヘゲモニーを貫徹するという、まさに〈革命的敗北主義〉であった。特に、70年入学という、いわば“遅れてきた青年”であった私(たち)の世代は、68-69年を超える戦闘性を合言葉にした」と当時を振り返る。

さらに、「全学闘の後々の『変質』があったのであれば、それは突然に起きたのではなく、表面化はしなかったにせよ、私たちの世代、さらに69年の創成当時にまで遡って根があると思う」と反省の意を綴った。そして、なかにし礼さん作詞、加藤登紀子さん作曲『わが人生に悔いなし』より、「親にもらった体一つで 戦い続けた気持ちよさ 右だろうと 左だろうと わが人生に 悔いはない」と記す。私の心には、〈革命的敗北主義〉の苦悩が届きつつも、羨望のさざ波が立つ。そのようなある種の爽快感を、現在の運動でもつことの困難を考えてしまう。

ちなみに、第4章「七〇年代初頭の京大学生運動──出来事と解釈 熊野寮に抱かれて」に、垣沼さんは、当時の背景として「民青はオルグする際は言葉としては近いうち革命でプロレタリア独裁を実現すると言っていたころだ」、「三派全学連から数年の実力闘争はかなりの国民から支持されていた。愛されていたと言ってもよい」と書いている。また、大学の生協の仕組みなども活動家の学生に対して「強力的」だった。改めて、時の流れを感じざるをえない。ただし、3章には、10年後の世代A君のメール文や、「最早、(75年前後の)大衆は70年代前半の大衆ではありませんでした」というメールも引用されており、これも興味深い。4章にも、京大総長岡本も「『ノンポリ』教養部生の発言には明らかに動揺している」などの記述もある。本当に、時代が変わる時だったのだろう。

また松岡さんは、寮母の砂野文枝さんに触れ、彼女の背景に戦時下の記憶をみる。このように、それぞれの時代を生きた人同士がつながり合い、何かが受け継がれていくのだろうと思う。

「真に闘ったかどうかということは、自分自身が一番よく知っている」

集会で革命に関する考え方と現在への影響などについて語る、評論家で叛旗派互助会の活動に継続的に参加している神津陽さん

Kさんが神奈川県に対して人事委裁決の取消しと損害賠償とを求めた行政訴訟事件の裁判の勝訴について報告する岡田寿彦さん

30年近くにわたる、たんぽぽ舎の反原発運動について説明し、「向こうも再稼働を思うようにできていない」と語る、柳田真さん

いっぽう、よど号メンバー、リッダ闘争関係者、連合赤軍関係者の特に現在については、個人的には松岡さんとも垣沼さんとも一部異なった印象・評価をもっている。万が一、よろしければ、ぜひ、直接交流してみていただきたい。事実を理解しないとの批判を受けるかもしれないが、自分なりの把握の仕方はある。この「過激な」活動の背景には、運動の歴史はあるものの、どう捉えるか、どこに線を引くかという考え方などに時代や個人によっての差が生まれるとは思う。いずれにせよ私は、自分への教訓としても、総括し、今日と明日とに生かしたいと考え行動する人々を信じる。その意味では、松岡さんも垣沼さんも立派な姿勢を示されたと思う。

さて、この運動衰退期を考える時、内ゲバのことを避けては通れない。松岡さんも垣沼さんも、これに真摯に向き合っている。ただし松岡さんは当時を全体的に振り返り、「闘うべき時に、真に闘ったかどうかということは、知る人は知っているだろうし、なによりも自分自身が一番よく知っているから、それでいいではないか、と最近思うようになってフッ切れた」という。

もちろん、連赤でもよくいわれることだが、運動や闘争にも実際には日常があり、そこには笑顔だってあった。本書にも、ほっとするようなエピソード、思わず笑ってしまうような「小咄(?)」なども盛りこまれている。また、松岡さんの「情念」を代弁するかのごとく、橋田淳さんの作品『夕日の部隊──しらじらと雨降る中の6・15 十年の負債かへしえぬまま』が第2章として掲載されてもいる。さらに、垣沼さんは、三里塚で、「農家のおっかさんが我々が逃げていくとあっち行け、こっち来いと声をかけてくれるので皆目土地勘がないけれども何とか動けた」、留置所で「やくざの人から暇つぶしの遊びを教えてもらった」などとも記す。「納豆を食う会」などの、ある種バカバカしい運動も、もちろん批判的にではあるが取り上げている。私は晩年の川上徹さん(同時代社代表・編集者、元全日本学生自治会総連合中央執行委員長・元日本民主青年同盟中央常任委員)ともお付き合いをさせていただき、彼からは「人間とはいかなる存在かを書く」ということを学び、それを受け継ぐこととした。これらも含めて本書には、余すところなく、それがある。

『遙かなる一九七〇年代─京都』を読んで、ともに再び起ち上がろう!

他方、第4章に、垣沼さんは、当時が目に浮かぶような詳細な記録を残している。彼は、このもとになるような膨大なメモを記してきたのだろうか。自身の背景なども書かれており、90年代に学生だった私にも、親近感が湧く。

内ゲバの詳細を綴った個所は圧巻だ。たとえば、75年マル青同の岡山大学での事件においては、「『殺せ、殺せ』と叫びながら乱闘して、多くの人が負傷して、ゆっくりと動く車で轢死させている」とか、気絶するまで殴打する様子が描かれている。このような具体的な状況を知る機会は限られるだろう。しかし、これが殺人や連赤まで結びつくのは簡単なものだろうと思わざるをえない。

4章では特に、垣沼さんを支えてきた言葉が、現在のアクティビストである私たちへの「お告げ」となるかのように、綴られてもいる。たとえば、小説家で中国文学者・高橋和巳の『エコノミスト』(毎日新聞出版)連載より、「人民の代理者である党派は人民に対してだけは常に自らを開示し続けるべき義務をもつ。だから、どのような内部矛盾にもせよ、それを処理する場に、たった一人でもよいから、『大衆』を参加させておかなければならないはずなのである」という言葉を、高橋氏の体験に関する文章とともに引用している。また、ローザ・ルクセンブルクの『ロシア革命論』7章より、「自由は、つねに、思想を異にするものの自由である」も記す。これはたしかに、デモのプラカードに用いたい。さらに、連赤総括で中上健次が「大衆の知恵と才覚」と語ったものこそが武器になるという。

私も、現在の運動については、過去のこと以上に批判的に考える。組織はほとんどが腐り、小さくても権力を握った人はそれを手放そうとせず、運動よりも自己実現・自己満足が優先されている。そして、そこでは議論などなされず、すでに一部の「小さな権力者」によって決められたものに、多くが従わされるだけだ。そのような場に幾度も居合わせては嫌気がさし、私は距離をおいてばかりいる。仲間や友人・知人にも、そのような人は多い。ただし、4章で垣沼さんが触れられているようなエコロジーに関する問題に携わる活動家も多く、もちろんよい運動だってあるし、試行錯誤を重ねている組織も個人も存在する。しかし、打破できぬ苦しさの中、希望も展望もみえず、たとえば私の所属する団体では「100年後」を考えることで現在の運動をどうにか継続することを試みるなどもしているのが現状だ。

「あとがきにかえて──」で松岡さんは、「当時の私たちの想いは『革命的敗北主義』で、たとえ今は孤立してでもたった一人になっても闘いを貫徹する、そしてこれは、一時的に敗北しても、必ず少なからず心ある大衆を捉え、この中から後に続く者が出る──私たちの敗北は『一時的』ではありませんでしたが、このように後の世代に多少なりとも影響を与え意義のあるものだったと考えています。〈敗北における勝利〉と私なりに総括しています」とも綴る。

現在のアクティビストが、本書を手に取ることで何かを得て、再び立ち上がる。またくじけても、何度でも立ち上がる。そのようにつながっていくために私はできることをするし、そのようになっていくことを願っているのだ。まずはぜひ、ご一読ください。

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動等アクティビスト。『現代用語の基礎知識』『情況』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』『デジタル鹿砦社通信』ほかに寄稿・執筆。『紙の爆弾』12月号に「山﨑博昭追悼 羽田闘争五十周年集会」寄稿

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』

人民新聞11月22日付【抗議声明】全世界の民衆の闘いを伝えてきた人民新聞社への不当弾圧

11月21日大阪を本拠地とする「人民新聞」(1968年創刊、1976年「人民新聞」に名称変更)の編集長が逮捕された。「人民新聞」は本拠地を茨木市に移し、順調に新体制のスタートを切った矢先だった。編集長逮捕の経緯について、同社社員の園良太氏に電話でうかがった。

──── 今回の弾圧について状況を教えてください。

園  21日事務所に来たときは私とは別の人が先に来ていて警察に鍵を開けさせられて、その後に私が来ました。「職員なんだから中に入れろ」と警察とやりあっていましたが、「立ち合いは一人しか認めない」と警察は取り合わなかった。「何の根拠もないだろう」と抗議しましたが、ブロックされ続けました。一方中にいる人は電話も使えないし、外に連絡もできない。撮影や録音もできない状況に追い込まれました。ようやく中から外へ出てきたときに、その人もいろいろ連絡を取る必要があり、警察と交渉して立会い人を僕に交代させました(それから社の中に入りました)。

警察からは、撮影録音を禁じられ「それをやるなら追い出すぞ」と脅され「軟禁状態」におかれました(これまでの経験では家宅捜索の際写真撮影などはしていました)。警察はパソコンなど押収してゆきましたが、それに抗議をすると「オラオラオラ」と言いながら体を寄せていて「当たり公妨」みたいなことをやりたい放題でした(著者注:それに反抗すれば逮捕を狙っていた可能性が高い)。

もう一点大きかったのはマンションの入り口に検問を張っていて、関係者を入れさせないことと、住民にも一人一人職務質問をして住民をビビらせていたことです(人民新聞は住宅もあるマンションの1室だ)。同じ階段から入る人にまで嫌がらせをしていたことです。

──── 令状の内容は?

園  クレジットカードを他人に使わせることで銀行からクレジットカードをだまし取った詐欺容疑としか書かれてません。報道で「日本赤軍」とかなんとか流れていますが、こちらはまったく知らされていませんでした。

◆「共謀罪」の先取り

──── これを読んでいる方に主張したいことがあればよろしくお願いいたします。

園  第一にここで詐欺とされているものは、海外でバックパッカーなど旅行している人が、送金の受け取りなどに困難があるとき、友達間のクレジットカードを利用して「この口座に振り込んで欲しい、そうじゃないと自分はお金を引き出せないから」というような融通は、みな普通にやっているわけです。それを相手が岡本公三さんだから逮捕するのは、相手が「誰か」ということだけで普通なら全く問題にできないものを炙り出して逮捕するという、まさに「共謀罪」の先取りであり許せません。

次に岡本さんはイスラエルで酷い拷問を受けて精神もボロボロの状態で、言い渡された裁きも受けていまレバノンで暮らしているわけです。そこに生活費を送る人がいても何が問題なのかということです。イスラエルがどれほどの人殺しをこの間にやり続けているかという問題も片方にはあるわけです。ですから日本政府が本来手出しをできる問題ではない。それをこの程度のことで騒ぎ立てて捜査網を広げていくということが許されないことは、警察発表を垂れ流ししているメディアがまず自覚しなきゃいけない。「人民新聞弾圧」はまさにメディア弾圧ですから。垂れ流しとか実名報道をやめろと言いたいです。

そして今回「人民新聞」は茨木市に移転して関係者の多い地域に密着もし、世代交代も進め、いい意味で関係性が広まっていってたところなんですね。そこに対してマンションごと「職務質問」をかける形で20人以上の警察が押しかけてくるというのは、地域から「人民新聞」の新体制を孤立させる意図に基づいた弾圧です。そんなものには負けませんが、絶対にこんな弾圧は許されません。

4つ目は押収する必要のないものまで持っていって、今仕事ができない状態です。とんでもないメディア弾圧です。それからからこれはすごく申し訳ないのですが、読者名簿も持っていかれているわけです。それは容疑と何も関係なく個人情報の固まりです。それについては「とにかくすぐ返せ」、「押収したもので容疑と関係ないものはすぐ返せ」と要求しています。

◆明らかに過剰で不必要な「検問」体制が敷かれた

園氏の話を要約すると逮捕された編集長氏のクレジットカードを利用してレバノン在住の岡本公三さんに生活費を送っていたことが「詐欺」にあたるとの理由で、今回の大掛かりな家宅捜査と逮捕がなされた模様だ。そして同社の入居するマンションの居住者にことさら「人民新聞」の悪印象を植え付けるために、過剰で不必要な「検問」体制が敷かれた。

「人民新聞」は独自の視点から発信を続けて来たメディアであり、その存在は今日ますます貴重である。同社への不当かつ過剰な「家宅捜索」及び「編集長逮捕」弾圧は報道界、出版界に身を置くすべての人間にとって他人事ではない。鹿砦社は2005年に検察権力により不当弾圧を受け壊滅的な打撃を受けたが、その後奇跡的に復活した。しかし2017年の今日、時代は違う。園氏が指摘する通り「共謀罪」が成立し、安倍長期政権による治安維持に名を借りた「言論弾圧」や「思想弾圧」はますます、なりふり構わず勢いを増している。それらは大手マスコミでは報道されない。が故に多くの読者真実を知りようがない。

「人民新聞」への弾圧を私は強く糾弾する。「人民新聞」への弾圧は過去鹿砦社が踏み潰されそうになった権力による弾圧の異形であり、その危険性と悪質性はますます水位があがっている。大手マスコミにとっても無関係な問題ではない(しかし彼らがそう気づいてくれるのかどうかには悲観的にならざるをえない)

「人民新聞」編集長の即時保釈を求め、「人民新聞」に対する弾圧を断固糾弾する!

人民新聞11月22日付【抗議声明】全世界の民衆の闘いを伝えてきた人民新聞社への不当弾圧

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

朝日新聞検索画面

◆左翼と右翼は「どっちもどっち」か?

「リベラル保守」を自称する東京工業大学教授の中島岳志氏が2017年4月24日配信のAERAの西部邁との対談記事でこう述べていた。

西部 一方で、左翼の論客の言葉だってネトウヨと同等に乱雑で、内容としては反知性的なオピニオン、つまり「根拠のない臆説」が増えている。右翼だけが反知性主義だというのは、朝日の偏見です(笑)。
中島 朝日を最も攻撃しているのも、また左翼です。ちょっとでも理想と違うと糾弾する。どっちもどっちです

もともとリベラル・左翼嫌いでリベラル・左翼論壇に登場しない西部氏の発言はこの際どうでもいい。問題は中島氏である。中島氏は朝日新聞の紙面やデジタル版によくインタビューに登場する人物だ。

朝日新聞関係者とおそらく親密な関係にある中島氏が「朝日を最も攻撃しているのも、また左翼です」として、前後の文脈から推測するに「ネトウヨ」「右翼」と「どっちもどっち」と言っているのだ。朝日新聞とつながりがあるからなのかどうかわからないが、身内贔屓ではないか。

以前中沢けい氏に関する記事で言及した『帝国の慰安婦』の日本語訳を出版したのは朝日新聞出版だが、この本の学術的な不備や欠陥を指摘したら「ネトウヨ」「右翼」と「どっちもどっち」になるのだろうか。補足すると中島氏は中沢けい氏と同じく「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」の賛同人だ。中島氏の認識は論壇非主流派でも論理的に整合性のある指摘をする人たちを軽視することになりかねない。

◆悲惨過ぎるアジア主義者たち──頭山満から日本会議への水脈

中島岳志『アジア主義 西郷隆盛から石原莞爾へ』(潮文庫2017年7月)

中島氏は著書『アジア主義』(潮出版社)において、葦津珍彦の書いた「永遠の維新者」という本を取り上げている。これは西郷隆盛を論じた本で、中島氏によると「現代民族派の古典とされ、右翼関係者の間では必読の書」で「アジア主義者たちが西郷を敬愛する論理が、きわめてクリアに描かれて」いるそうだ。葦津珍彦は西郷隆盛を継承したのは頭山満(葦津が師事した人物)をはじめとする玄洋社であるとし、西郷隆盛と同時に頭山満らを高く評価している。それにならってか中島氏は『アジア主義』で全体的に頭山満や玄洋社をやや肯定的に描いている。

しかし、玄洋社は大隈重信を暗殺しようとして爆弾テロをしかけた来島恒喜が所属していた組織だった。

頭山満にしても天皇機関説問題の時には「機関説撲滅同盟」という物騒な名前の団体を結成している。この団体主催の機関説撲滅有志大会での決議内容は以下の通りである。

一、政府は天皇機関説の発表を即時禁止すべし
二、政府は美濃部達吉及其一派を一切の公職より去らしめ自決を促すべし

来島にしろ頭山にしろ「ちょっとでも理想と違うと糾弾する」どころではない。
ちなみに頭山満を敬愛してやまなかった葦津珍彦は戦後右派学生運動に巨大な影響を与えている。藤生明『ドキュメント日本会議』(ちくま新書)によると、右派学生運動の指導者の1人であった椛島有三はある時期から葦津珍彦の理論に影響を受けて今までの憲法無効論を放棄し、運動の路線転換を図ったのだという。椛島はこう書いている。

藤生 明『ドキュメント 日本会議』(ちくま新書2017年5月)

「国難の状況を一つ一つ逆転し、そこに日本の国体精神を甦らせ、憲法改正の道を一歩一歩と前進させる葦津先生の憲法理論に学び、探求し、『反憲的解釈改憲路線』と名付けて推進していくことになった」

ラディカルな無効論から現行憲法の存在を認めたうえでコツコツと骨抜きをしていく路線への転換。これが息の長い着実な草の根運動へとつながっていく。

椛島有三は現在日本会議事務総長をつとめている。葦津珍彦の流れは学生運動のみならず、戦後の右派運動の本流となっているのだ。

中島氏の著作は、彼の言うところの「アジア主義」にたいして大きな勘違いをひき起こすのではないかと思われる。中島氏はメディア露出が多いため、その危険性は大きい。「アジア主義」「リベラル保守」という用語が過去をマイルドに偽装するものであってはならないだろう。

他にも中島岳志の著作に関しては、『博愛手帖』というブログの管理人が“新しい岩波茂雄伝?”と題して中島氏の『岩波茂雄 リベラルナショナリストの肖像』(岩波書店)に関して詳細な批判をくわえている。岩波茂雄に関する他の関連著作を読み込んだうえでの大変緻密な読みで非常に参考になる。ご一読いただけると幸いだ。

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

11月7日第195回国会の開会式(参議院本会議場)。見にくいが画面最前列が安倍

参議院本会議場に入場する天皇

 

11月14日「立憲主義の後退」で山田次郎氏が鋭い論評を展開している。立憲主義の今日的課題や論点は横におくが、その一形態が表出している国会の開会式を取材する機会を得たので、報告したい。

国会は「非公開」の会議を除き、衆議院TV、参議院TVでネット放送されているので、テレビ受像機を持たない人でもほぼすべての本会議、委員会の中継を視聴することができる。

画面左前が安倍

11月7日第195回国会の開会式が参議院本会議場で行われた。国会の開会式や式典は伝統的に衆議院本会議場ではなく、参議院本会議場で行われるのが慣例だそうだ。開会式には天皇が出席する。

国会議事堂は正面から向かって左側に衆議院、右側に参議院が位置するが、ちょうどその中間あたりに天皇が国会を訪れた際の「御休所(ごきゅうしょ)」が設けられており、天皇が国会に到着する15分前からは衆議院と参議院の間を通行することができず、エレベータも停止される。天皇の「御休所」が実際に使用されることがほとんどなく、天皇は国会に到着すると参議院本会議場へ向かい、開会の式辞を述べると帰路につくのが恒例だそうだ。

傍聴席の様子

開会式では衆・参両院の国会議員が参議院本会議場に集まるので、通常は決められている席に本人が着席することはなく、当然多くの立ち見議員が生じる。

開会式の傍聴席は皆礼服を身につけた方ばかりで、職員が傍聴席のブロック順に説明事項を伝える(傍聴席には警備要員と思われる人物が相当数目につく)。13時開会式を控えて12時45分ごろから議員の入場が始まる。

最前列に安倍首相他諸大臣が着席しているようで、議長席を挟んで両側には燕尾服を着た議員(?)たちが直立し、大島衆議院議長や赤松副議長も控える。議場内ではあちこちで肩を叩きあって挨拶をしたり、握手をする議員たちの姿が見られるが、入り口付近で数人と挨拶を交わしたがそのままそこに立ち続けていたのは、不倫騒動で民進党を離党しながら無所属で当選を果たした山尾志桜里議員だ。

山尾志桜里議員

13時丁度に天皇が傍聴席から向かって左側の入り口から入場すると、議員、傍聴人は一斉に起立する(開会式中の起立はあらかじめ職員から傍聴者にも伝達されていた)。1分前までの喧騒が嘘のように、千数百名が集まる参議院本会議場は静寂が訪れる。天皇が議会中央に着席すると、大島衆議院議長が式辞を読み上げ、読了後その原稿を天皇に手渡す。

このとき数段の階段を上り下りするのだが、大島衆議院議長は常に天皇に向かい合った姿勢で移動をする。かつて高齢の衆議院議長が、正面を向いたままの階段を下りることが体力的に難しくなり、議長を辞したことがあったことが思い出された。

式辞を天皇に手渡す大島参議院議長

その後天皇が、
「本日、第195回国会の開会式に臨み、衆議院議員総選挙による新議員を迎え、全国民を代表する皆さんと一堂に会することは、私の深く喜びとするところであります。
ここに、国会が、国権の最高機関として、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、その使命を十分に果たし、国民の信託に応えることを切に希望します」

と式辞を読み上げると議員、傍聴者が礼をし、天皇が参議院本会議場から退出して開会式は終了した。

式辞を読み上げた天皇

この間約15分弱である。議員たちは再び歓談をしながら議場を後にするが、傍聴者はすぐに退出することはできない。天皇が国会を後にしたことが確認されてから傍聴者の退出が許可され、衆議院と参議院のあいだの封鎖も解除される。

画像で眺めるのと実際にその場に居合わせるのでは空気感がずいぶん違った。
以上、国会開会式の報告である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

7日発売!タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

NUMO(原子力発電環境整備機構)が開く「核のごみ」の説明会で1万円ほどの謝礼金を学生に約束して参加者を集めていた問題で、説明会が11月17日に開かれ、NUMOの伊藤真一理事が「会の公正性に対する皆様の不信を招きかねないものだった。皆様に深くおわび申し上げたい」と謝罪した。


◎[参考動画]「核のごみ」説明会の謝礼金問題 NUMO理事が謝罪(ANNnews 17/11/17公開)

◆嘘を塗り固めるには「金(買収)」しかない──原子力マフィアのテーゼ1

「今と向き合う」デジタルハリウッド・アースプロジェクト2017

まったく哲学的でも美学のかけらもないテーゼ1は、しかしながら原子力マフィアの間ではある種の不文律、「絶対原則」の一つともいえる行動原理である。

班目春樹元原子力安全委員会委員長が最終処分場をめぐっての2005年のインタビューで「最後は金目でしょ」、また石原伸晃元環境大臣も2014年6月23日、福島第一原発事故による汚染土中間処理施設建設問題の際に「最後は金目でしょ」と示し合せたように同じ発言を繰り返している。原発4機爆発=人類史上初の大事故の前も後も彼らの本音は「買収すればなんとかなる」であり、二人の発言はぶれておらず、失言でもなんでもない。

◆嘘は大きいほど騙しやすい──原子力マフィアテーゼ2

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にしても、もう少しコソコソする“慎み”くらいは演技でもいいから繕わないのか。そもそも全く科学的ではない最終処分地探しのインチキ地図に「科学的特性マップ」などと平然と命名する神経は「嘘は大きいほど騙しやすい」―原子力マフィアテーゼ2―に基づいているのだが、あまりにも荒唐無稽の度が過ぎる。NUMOは「放射能濃度の高いものは、地下深くの安定した岩盤に埋設し、将来にわたり隔離する『地層処分』が必要です」と主張している。

高濃度汚染物が何十万年にもわたって放射能を出し続けることは科学的に明らかになっている事実だが、一方日本列島のどこにも数十万年にわたり「安定する岩盤」がないことは昨今の地震を見るだけでわかる。人類の文明史などいくら遡ってもせいぜい数千年が限界なのだ。この島国で最も古いとされる紙にしたためられた文章「日本書紀」でも西暦720年に書かれた(つまり1300年ほど前)に過ぎない。

誰が数十万年後までの「安定した岩盤」を保障できるのだ? この問いに答えられない時点で日本における「高濃度汚染物地層処分」は破綻しているのであり、「科学的」というならばその前提の上で議論や計画を立案せねばならない。

しかし、高濃度汚染物処理はこれまで「海中処分」や「北極処分」、「宇宙処分」と行き当たりばったりで、いずれも解決とはならない策が議論されてきたが、危険性の大きさがまる分かりなのでそれらの案は排除され、最後に「ややこしいものは埋めてしまえ。あとのこと?そんな先のこと知るか!どうせその頃、ワシらは死んどるんや!」とやけっぱちになって強引に進めようとされているのが「地層処分」に他ならない。

最近の地震を見るだけでも日本列島はどこでも大地震が起こることは体験済みだが、そのスパンを人類史以上の数万年、数十万年、さらに数百万年と伸ばせばそこには「プレートテクトニクス」により、日本列島全体が「新しい」造山運動の中で誕生し、現在も「動いている」プレート境界の上に位置していることが歴然とする。地殻形成の歴史においては欧州の方が日本列島よりもはるかに古く、それ故安定した地盤で地震が少ない、とされているが、その「地盤が古く安定している」はずのフランスでも地震が発生していることを見れば、「科学的特性マップ」がまったく「科学的」ではないことが容易に理解される。

このような基本的な質問や疑問を投げかけられては困るので「サクラ」として学生アルバイトが動員されたのだ。「サクラ」は従来電力会社社員や、関連企業の社員が担っていたが「コストダウン」の影響か、ここでも「非正規サクラ」に頼るという「新自由主義」のほころびを私たちはいま目にしている。

身内のトップ「原発推進親分」の世耕経産大臣から「下手な芝居」を直々に叱られたたNUMO伊藤真一理事は「会の公正性に対する皆様の不信を招きかねないものだった。皆様に深くおわび申し上げたい」とまた日本語の曖昧さを悪用しようとしているが、違うだろ。「皆様の不信を招きかねない」ではなく原子力マフィアを含めて「誰も信用していない」のが実態だ。


◎[参考動画]「今と向き合う」 デジタルハリウッド・アースプロジェクト2017(Channel NUMO-原子力発電環境整備機構 2017/07/26公開)


◎[参考動画]Adfes2017ダイジェスト~「人を動かし、世に響く」。大学広告研究会のNo.1を決めるコンテスト(Channel NUMO-原子力発電環境整備機構 2017/10/18 公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

若狭勝氏公式HPおよびブログより

衆院選に希望の党から立候補して落選した弁護士の若狭勝氏が11月14日、フジテレビ系「バイキング」で「国会議員は不倫をしてはいけないルールを作るべき」という持論を披露した。

番組では、山尾志桜里議員が不倫疑惑の相手である弁護士を政策顧問に再起用したことについて議論。若狭氏は「山尾氏が不倫していたかどうかは別にして」と前置きした上で「国会議員は不倫をしてはいけないというルールを作るべき。不倫したければ、国会議員を辞めるべき」とルールの必要性を説いた。

◆「若狭法務大臣」というお笑い劇は回避できたが……

若狭勝氏公式HPおよびブログより

その理由として「国会議員は国のため、国民のために仕事をしてたら、不倫をしている時間はない。国会議員の不倫は仕事をおろそかにしている証明」と自身が国会議員を務めてきた経験に基づいて熱弁をふるった。

画期的?なルール作り案を聞かされた坂上忍は「なんで落選しちゃったんだよ~」と残念がったが、政治評論家の有馬晴海氏は「(国会議員の)なり手がなくなりますよ!」と厳しいツッコミ。若狭氏は「3分の1ぐらいですよ」と驚きの数字を挙げて不倫議員を推定していた。

※若狭勝氏「ルールを作るべき」国会議員の不倫に持論(日刊スポーツ11月14日付)

東京地検特捜部出身にして、「法律の専門家」を自認した若狭。あまりにも的外れで、程度の低い発案。お笑いタレントからも失笑を買う「国会議員は不倫をしてはいけないルール」とは、よくぞ思いついたものだ。まあ、こんなどうでもよいことを真顔で語っているような「器」だから、まかり間違えば「希望の党」立ち上げメンバーで、あのような稚拙な三流芝居(それは必然的に生じた。なに不思議ない帰結をみた)に乗れたのだろう。まかり間違っていれば、今頃入閣して法務大臣あたりの椅子に座っていたかもしれない、というお笑い劇は回避されたのだ。

◆本来はオーディション段階で「選外」になっているべき人間だった

若狭は「政治ドラマ」の役者を演じるには、資質が決定的に不足していた。まず、若狭は滑舌が悪い。情報の受け手が望む「簡潔な要約」を語ることができない。よくこれで、検察や弁護士、国会議員を務められたものだと、呆れるほどに、「そのへんのおっちゃん」並みに口下手で、何を主張しているのかわからない。小池との新党造りの重責は、世襲や「地盤」、「看板」、「鞄」のない、テレビ評論家としてだけ顔の売れた若狭にしては荷の重すぎる役割であった。イメージチェンジのために髭を剃り落としたところで、急にインパクトの強い発信ができるようになるはずはない。

本来若狭は、小池百合子が仕掛けた「劇場」に登場する役者としては、オーディション段階で「選外」になっているべき人間だ。

さらに、小池からは初期終結した「同志」であるはずなのに、小池が海外出張中に「代表代理」を外されるという、「ダメ」男の烙印まで押され、結局若狭は「政変のキーマン」どころか、自分が落選してしまう(笑)。政治家としての生命はもう終わりだろう。

◆今の若狭は内心安堵しているのではないか

若狭勝氏公式HPおよびブログより

だが、私はむしろ今の若狭は内心安堵しているのではないかと想像する。本来であればまだ維持できた国会議員としての立場を失っても、相変わらずテレビ局は若狭を重用する。特にフジテレビ系列との癒着は明らかだ。上記のような元検察官とは思えない、失笑を買うレベルで「国会議員は不倫をしてはいけないルールを作るべき」と、冗談ではなく真顔で発言できる場所、つまり「テレビコメンテーター」が若狭にはふさわしいのだ。気遣いや、周りの目を気にしながらの議員生活よりも、よっぽど気楽で収入も悪くない。

若狭はテレビから出てきて、テレビに帰っていった。11月14日小池百合子は「希望の党」代表辞任を発表する。既に総選挙でぼろ負けしているだけではなく。先に行われた葛飾区議選挙で「都民ファースト」は公認を5人立てたが、当選は1人だけだ。小池は代表辞任に当たり、当たり障りのないコメントしか残さなかった。

「あんなものインチキですよ」。俳優であり元参議院議員でもある中村敦夫さんを選挙期間中に取材したら、中村さんは希望の党と維新をそう切り捨てた。まことに歯切れがよかった。

若狭は「何事もなかったように」フジテレビ系列のニュースや情報番組に出まくるだろう。小池は築地市場の豊洲移転欺瞞を「東京オリンピック」で隠しながら平然と知事に居座るだろう。嘉田由紀子が滋賀県知事時代に「未来の党」の代表に就任した時期があったが「知事と国政政党の代表が務まるのか」との批判の前に嘉田は「未来の党」代表を辞任した。

他方大阪府知事の松井一郎は「日本維新の会」の代表であり、小池は14日に代表を辞任したとはいえ都知事を兼ねながら国政政党の代表を兼務したが、それは批判の対象とはならなかった。嘉田はびわこ成蹊大学学長の椅子をなげうってまで「希望の党」からの公認を狙い、先の総選挙に出馬したが「希望の党」から袖にされたうえ、落選した。

若狭、小池、嘉田──。こういった連中はあまねく「インチキ」であることが判然としたのがこのたびの政局だ。


◎[参考動画]若さで勝つ!! 若狭勝セミナー (日本海賊TV2017年8月8日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

自宅で仕事をしていると、鹿砦社の編集者から「塩見さんが亡くなりましたので、往時の写真をお送りします」とのメールが入ってきた。送信いただいた方の名前も書かずに「え!うそでしょ!」とだけ書いて瞬時に返信してしまった。

◆塩見さんと鹿砦社『革命バカ一代 駐車場日記』

私は格別塩見さんと親しかったわけではない。お会いしたのは数回だったろう。初めてお会いしたとき、書籍や映画の中でしか知らなかった塩見さんは既に老境の域に入ってはいたが、相変わらず「革命」というべきか「社会変革」と表現すべきか、ともかく「何か」を指向する情熱は衰えていなかった。

ある宴席で「おい田所、タバコ1本くれよ」と言われ、一本進呈し、私がマッチで塩見さんのタバコに火をつけている写真が残っている。残念ながら読者諸氏には個人的(身体障害)理由で拙顔をご覧頂きたくないので、その写真掲載できないが、代わりに(と言っては失礼に過ぎるが)鹿砦社社長・松岡氏との写真をご覧頂こう。

塩見孝也さんと松岡利康(鹿砦社社長)

塩見孝也『革命バカ一代 駐車場日記』(鹿砦社2014年)

鹿砦社は塩見さんの著書『革命バカ一代 駐車場日記』を出版している。長期の服役後労働の現場を初めて経験した塩見さんの穏やかな日記帳のような現状報告だ。

◆まだ時代は若者が夢を見ることを許していた

ご本人にお会いする前、私にとっての塩見孝也のイメージは『宿命』(新潮社、高沢皓司)に登場する赤軍(派)議長としての「塩見孝也」であった。『宿命』は明らかに公安筋からの情報提供が多数含まれるなど、内容に数々の問題が指摘される作品であるが、『宿命』の冒頭でのちに「よど号ハイジャック」として世界を震撼せしめた計画を議論する、都内のある喫茶店での塩見さんの描写には、多くの先輩から聞いていた塩見さんの人物像が重なった。

また若松孝二監督による『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』に登場する塩見さんのイメージ(この映画の塩見さんや田宮高麿氏の配役はかなりミスキャストではあるが)も彼の人柄や思想を想像させる材料となっていた。

砂漠のように干からびた80年代に大学生としての時間を過ごしたものとしては、塩見さんに限らず、名のある闘士や活動家だけではなく、市井の若者が煮えたぎる思いを行動と直結することのできた「時代」が心底羨ましかった。『宿命』のなかには、

「まだ時代は若者が夢を見ることを許していた」

と、その後の時代を冷徹に突き放したフレーズがある。砂を噛みしめるような思いで過ごした80年代の不毛を見事に言い当てている。あのとき砂を噛んでいた私感と共振する。

以下は1969年8月に結成された赤軍(派)が同年9月3日に発した「世界革命戦争宣言」である。

ブルジョアジー諸君!
我々は君たちを世界中で革命戦争の場に叩き込んで一掃するために、
ここに公然と宣戦を布告するものである。
君たちの歴史的罪状は、もうわかりすぎているのだ。
君たちの歴史は血塗られた歴史である。
君たち同士の間での世界的強盗戦争のために、
我々の仲間をだまして動員し、互いに殺し合わせ、
あげくの果ては、がっぽりともうけているのだ。
我々はもう、そそのかされ、だまされはしない。
君たちにベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのなら、
我々にも君たちを好き勝手に殺す権利がある。
君たちにブラック・パンサーの同志を殺害し
ゲットーを戦車で押しつぶす権利があるのなら、
我々にも、ニクソン、佐藤、キッシンジャー、ドゴールを殺し、
ペンタゴン、防衛庁、警視庁、君たちの家々を 爆弾で爆破する権利がある。
君たちに、沖縄の同志を銃剣で突き刺す権利があるのなら、
我々にも君たちを銃剣で突き刺す権利がある。
  
君たちの時代は終りなのだ。
我々は地球上から階級戦争をなくすための最後の戦争のために、
即ち世界革命戦争の勝利のために、
君たちをこの世から抹殺するために、最後まで戦い抜く。
我々は、自衛隊、機動隊、米軍諸君に、公然と銃をむける。
君たちは殺されるのがいやなら、その銃を後ろに向けたまえ!
君たちをそそのかし、後ろであやつっているブルジョアジーに向けて。
我々、世界プロレタリアートの解放の事業を邪魔する奴は、
誰でも容赦なく革命戦争の真ただ中で抹殺するだろう。
世界革命戦争宣言をここに発する

塩見孝也『赤軍派始末記―元議長が語る40年』(彩流社2009年)

「まあ、なんと過激な」とそっけない反応が返ってくることは百も承知だ。「過渡期世界論」や上記の「世界革命戦争宣言」だって「世界」を知らないが故に「暴走」できた理論的には穴だらけのマニフェストと言われても仕方あるまい。それはわかる。

それでも「君たちにベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのなら、我々にも君たちを好き勝手に殺す権利がある」、「君たちに、沖縄の同志を銃剣で突き刺す権利があるのなら、我々にも君たちを銃剣で突き刺す権利がある」は法外な宣言であろうか?

このマニフェストを書いたのは塩見さんではないが、私は上記の引用は根源的には今日でも有効性を失なっていないと思う。

「やられたらやり返せ」との対等の関係ではない。巨大権力や国家が弱小国家に「戦争」を仕向けるとき、弱小国家は「問題は話し合いで解決しましょう」などという「正しい」論理で地域紛争や、侵略は公平・公正に解決されたのか? ベトナム戦争に米国が敗北したのは、とりもなおさず「君たちにベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのなら、我々にも君たちを好き勝手に殺す権利がある」が実践されたからではないのか。

◆ロシア革命から100年の年に「日本のレーニン」逝く

私は赤軍派でもなければ、どの党派に所属したこともない。学校で強制されるクラブ活動にすら嫌悪観を抱く人間だから、到底「綱領」のある組織などには所属できない。

しかし、塩見さんの生きざまには多くの苦渋や、過ち、辛酸もあろうが、獲得すべき目的を確信し行動した、清々しさを感じる。塩見さんと親しかった先輩は大勢の中では自己の運動について全くと言っていいほど語らなかった。それほどの「負債」があったのだろう。

戦果を派手に宣伝するのは本当の「闘士」ではない。「闘士」は必ず人には語り得ぬ「重荷」を背負っている。これは経験的に確信できる。その点塩見さんは突き抜けていたのかもしれない。なにせ「日本のレーニン」だったのだから。ロシア革命から100年の年に逝去された塩見さん、ご冥福をお祈りいたします。

合掌。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

塩見孝也『革命バカ一代 駐車場日記』(鹿砦社2014年)

選挙中に配布した黒川氏のビラ(表)

黒川氏のビラ(裏)。消費税全廃を訴えた立候補者は全国的にきわめてまれだった。

総選挙の公示日を目前に控えたある日、携帯電話をとると、「黒川です。いま新幹線で山口に向かっています」と聞き慣れた声が聞こえてきた。

今治加計学園獣医学部問題を考える会の黒川敦彦・共同代表である。今年に入ってから、加計学園疑獄を徹底的に追求し、かずかずの証拠資料を収集してきた人物だ。彼を情報源として、大手メディアや野党議員が問題を追及してきた。筆者も黒川氏からの情報をもとに記事を書いた一人である。

彼とその仲間たちの活動によって、安倍政権が解散に追い込まれたといって過言ではない。

電話を受けた数日前に、立候補を決意したことは知っていたが、こうして安倍晋三首相の選挙区である山口4区に向かう旅の途中で電話が入ると実感がわいてくる。キャリーケースひとつ持って、敵陣営に単身乗り込む姿が目に浮かんでくるようだった。

首相の選挙区で無所属新人が立候補するなど大胆すぎる。結果は惨敗だった。しかし、今回彼が立候補したことは全く意味がなかったことだろうか。12日間の選挙運動中に何が見えてきたか。

そもそも、加計学園問題の行方はどうなるのか。11月10日に設置審が認可するよう答申したことを林芳正・文部科学大臣が発表した。そして11月4日には、早々と認可してしまった。一連の疑獄はまったく解消されていないにもかかわらずに。

そこで、筆者が毎月行っている勉強会「草の実アカデミー」の第100回のイベントとして11月18日午後2時20分から、東京文京区の文教シビックセンター「スカイホール」で、黒川氏の基調講演を中心に集会を開催することにした。「森友・加計告発プロジェクト」の全面的な協力を得ての企画である。

演題は、「安倍晋三総理に真っ向勝負を挑んだ黒川敦彦が語る『もり・かけ追及・総選挙総括・今後目指す道』。

さらに、40年近く日本中で選挙ボランティアとして活動してきた斎藤まさし氏による総選挙全般の総括。つづいて、森友・加計告発プロジェクト共同代表の藤田高景氏が、両疑獄事件の告発の現状を語る予定だ。

◆疑惑の解明はイコール安倍政権の終焉

森友学園疑獄、加計学園疑獄で身動きが取れなくなった安倍政権は、憲法53条に基づく野党の臨時国会招集要求を無視したあげく、9月28日の臨時国会冒頭で衆議院を解散した。まさに「もり・かけ隠し解散」だった。

解散直前の状況を整理しよう。

森友学園では、国有地8億円の値引きの根拠とされたゴミはなかったことが判明し、財務省がそのことを分かっていた。そして売却金額を先に1億3000万円程度にすると決め、その金額に合わせてゴミ撤去費用を見積もっていたのである。

さらには、支払いを10年分納にするレールを敷いたのも財務省側だった。これら一連のことが録音されていた音声データに収められており、その一部がテレビで公開される事態になっていた。これだけでも安倍政権は窮地に陥っていた。

一方の加計学園をめぐる状況はどうであったか。

前川喜平・前文部科学事務次官などの発言でもわかるように、行政がゆがめられていたことが根底にある。

建築見積も内容も見ないまま、建設予定地の愛媛県今治市議会は96億円の補助金を供出する決定をした。ところが黒川氏らに内部告発が設計図面を提供したことから、大幅に建築費を水増ししていた疑惑が浮上してきたのである。

建築費や運営費など総経費の半額を補助金で出すというのであるから、建築費水増しによって当然補助金額が高くなるわけであり、補助金詐取疑惑が生じる。加えて、ずさんな設計によってバイオハザードがほぼ100%起きると専門家が指摘する始末だった。

このような状況で、安倍首相が野党の質問に答えられるわけもなく、そのための解散だった。

したがって、普通に選挙をすれば自民党が負けていた可能性が極めて高いが、周知のとおり与党が3分の2の議席を占める圧勝に終わった。

森友学園問題を日本中に知らしめた木村真・大阪府豊中市議(左)と黒川敦彦氏。11月9日、文部科学省前でともに加計学園獣医学部新設の認可に抗議した。

◆自民党を勝たせた野党の分裂の背景は?

安倍政権が窮地に追い込まれたときに起きたのが、民進党の山尾しおり衆院議員の不倫ゴシップだった。その当時、解散総選挙はないのではないかという見立てもあった。しかし、この山尾事件が明るみに出た瞬間に「解散総選挙をやるだろう」と指摘した人物もいた。野党第一党の民進党をガタガタにし、間髪を入れず解散総選挙に打って出ることで、政権の延命を図ろうとの意図がすけて見えたからだ。

つづいて、希望の党の設立による民進党分裂の第二弾。間髪を入れぬ立憲民主党の立ち上げとなった。さらに無所属で出馬した前民進党所属議員もいたから、民進党は4分裂したことになる。

2015年9月の安保関連法制の強行採決以降、野党共闘(民進党・共産党・社民党・自由党)という流れができていた。前原前民進党代表は共産党との共闘に前向けではなかったが、一定の進捗はあったわけで、そのまま選挙をやれば安倍政権への一定の歯止めとなったはずである。

そのような事態を阻止し、もりかけ疑獄を隠し、自民党の敗北を阻止する結果をもたらしたのは、民進党の分裂と希望の党創立だった。誰かがシナリオを描いたのかもしれないが、誰が、いつ、どのようにコトを進めたのかは判明していない。

安倍ヤメロのプラカード(加計学園獣医学部認可に抗議活動 11月9日)

◆これからどうする、どうなる?

このような状況で、黒川敦彦氏は、単身山口4区に乗り込んだわけだ。選挙期間中の10月16日、加計孝太郎理事長の詐欺の幇助容疑で安倍首相を山口地検に刑事告発もし、消費税ゼロを最大の政策として訴えた稀有な立候補者でもあった。

黒川氏は、選挙後にフェイスブックなどで選挙を振り返ってはいるが、18日の集会は、初めての本格的な総括になるはずである。今後の日本の政治を語るうえでも貴重な集まりになるだろう。

基調講演 安倍晋三総理に真向勝負を挑んだ黒川敦彦が語る
    「もり・かけ追及・総選挙総括・今後目指す道」

報告1 今回の総選挙について(斎藤まさし氏、選挙ボランティア)
報告2 森友・加計告発の現状(藤田高景氏、森友・加計告発プロジェクト共同代表)

日時 11月18日(土)14:00開場、14:20開演
場所 文京シビックセンター26階スカイホール 東京都文京区春日1-16-21

交通 東京メトロ後楽園駅・丸ノ内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分 都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分 JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9分
資料代 500円
主催 草の実アカデミー

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)ほか。林克明twitter 

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

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