嫌な予感はあった。彼女の携帯に電話をかけた時、いつも通り「おー! どうしたの?」と明るい声で語りかけてくれたのは5月頃だったろうか。でもその後に取材内容を告げると、声が急に暗くなった。彼女が逡巡していることは手に取るように分かった。会話の最後はたしか、こうだった。「この話ではおしまい! また楽しくご飯食べに行こうね」。
私が彼女に尋ねたのは「しばき隊」による「リンチ事件」だった。私がこの役回りを引き受けなければならないことは、正直かなり辛くはあった。
私が辛さんと知り合ったのはまだ20世紀だった。シンポジウムのパネラーとして参加をお願いしたら、忙しい中、安いギャラで、便の悪い田舎まで快く足を運んでくださった。初体面ながらシンポジウム終了後の懇親会では「意見の合わない主催者とは飲まないよ」と気配りに満ちた言葉をかけて頂いたことが思い起こされる。
その後も私が病で床に臥せた時には、いつも暖かい言葉をメイルで送ってくれた。心優しい人だなと、本心親しく感じていた。
3年程前になろうか。久しぶりに彼女の講演会の知らせを聞いて、大阪に出向いた。講演後の懇親会(出席者は100名以上いただろう)で、辛さんに近づき私は彼女の肩を叩いた。最初彼女は私が誰か認識できなかった。それはそうだろう。初体面の頃とは別人のように容姿が変わった私をほぼ20年近く時間が経過して、分かってくれという方に無理がある。私はサングラスを外した。「ワー生きてたの!」そう言いながら彼女は私をハグしてくれた。
今だから告白するが「のりこえねっと」の運営が大変だと聞いて、「私手伝おうか」と申し出たこともあった。東京に住むのは気が進まないけれども、彼女の進める運動ならば手伝いたい、との気持ちがあり、実際に「のりこえねっと」の事務局が置かれているビルまで出向いたこともある。そこは「のりこえねっと」が専ら借りている事務所ではなく、他の団体に居候しているようだった。その日は事務所の中に誰もおらず引き上げた。
辛淑玉さん。悲しいけれども私はあなたに決別の辞を述べなければならなくなりました。その理由はあなたが記した下記の文章です。
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【関係各位へ】
2014年末に起きた傷害事件とその後のネットの騒ぎについて
今年の春頃、私がこの事件の加害者3名宛てに書いた手紙が、私の了解を得ることなくネットに流されました。そして、その手紙に書かれていたことを「証拠」として、李信恵さんに対する異常なまでの攻撃が始まりました。
まず、私は、Twitterを始めとするネットの中で何が起きているのか、逐一追うことはできません。今でも全容は把握できていないと言わざるを得ません。
この事件に関して様々な方が見解を述べていますが、私は、誰に対して何を伝えなければならないのか、整理ができませんでした。また、様々な制約もあり、コメントを出す機会を逸しました。
その間、渦中に置かれていた李信恵さんは苦しんだことと思います。どれほど絶望的な思いで過ごしたことでしょう。
本当に、ごめんなさい。
私にとって、問題は、私の手紙が私の知らないうちにネットに持ち出されたことに尽きます。
私が被害者に初めて会ったのは、事件後のことです。被害者の友人Kさん(私は被害者とKさんの関係については何も知りません)から連絡があり、まずKさんと連絡を取り、ついで被害者から写真とテープを頂き、それに基いて手紙を書きました。そして、被害者に手紙を見せ、被害者が望まない箇所は削除し、その了解を得た上で関係者に送りました。
この手紙を持っているのは、事件に関わったとされる5名と被害者1名、双方の弁護士、それと、この事件を知らせてくれたKさんだけのはずです。
当初、被害者とKさんは、このことが外に漏れることを非常に心配していました。「大変なことになる」というのが口癖でした。彼らの、問題を解決したいという思いが強く感じられたからこそ、私は手紙を書こうと決心しました。
しかし、今年に入って、関係者ではないのに私の手紙を見たという人たちに出会いました。どこからか出回っていたのです。
次は、手紙がネットに流されました。それを有料のコラムで紹介した人もいると聞いて、私信をネットに流すだけでも非常識なのに、それで小銭を稼ぐという行為には耳を疑いました。
被害者とKさんが私に言っていたことは何だったのだろうと混乱しました。
あの手紙を出した後、加害当事者であるLさんや関係者に会い、あの日起きたことの別の一面を知ることになりました。
それは、被害者側から聞いた話とは相容れないものでした。
私がLさんに会ってまず思ったのは、「こんなにちっちゃい子だったんだ」ということでした。あんなに体格のいい被害者を、どうやって殴ったのだろうかと。事件に至るいきさつはいろいろとあったようですが、それは私の知らないことなので、そこに関してはコメントできません。
あの手紙に書いた内容の中で、決定的に間違っていたのは次の点です。
事件当夜の飲み会は李信恵さんの裁判関係の流れで予定されていたのですが、その途中で知人の訃報が入り、飲み直そうということで現場となった店に移動したこと、また、みんな悲しみに沈んでいたので、店の外で行われていることには、全く関心が行かなかったということです。
そして、私が恐怖を覚えたあの「笑い声」は、その場を何とか明るく盛り上げようと必死になっていた李信恵さんの声だったのです。
音声だけから状況を判断するのがどれほど危ないことか、私は思い知りました。
多くの方は、加害者側は反省も謝罪もしていないと考えているようですが、裁判所が勧めた和解を被害者が拒絶して告訴した結果、刑事事件となりました。
私は、解決方法は被害者が決めるべきだと思っていたので、その決断を重く受け止めました。
しかしその結果、加害者のLさんは仕事も辞めざるを得なくなり、家も引き払い、罰金に弁護士費用も加わるなど、Lさんが彼の人生で受けた制裁は十分に重かったと言えます。今度は、これに民事訴訟が加わります。
そして、そのLさんのことを心配した李信恵さんが、30数箇所を自傷して血だらけになった自分の写真を送り、「代わりに死んであげたから、死なないで」と言ったことなど、ネットで楽しく叩いている人たちには、想像もつかないことでしょう。
彼女はそれ以前から、在特会や保守速報との訴訟によるストレスで、身体はボロボロの状態でした。かつて、私は彼女の周囲の人に、裁判はもうやめたらどうかと言ったことすらあります。もう十分だろうと。
この事件について「正義」を唱え、楽しんでいる人たちは、いったい何がしたいのでしょうか。
一年半以上も前のことを、まるで今起きたかのように騒ぎ、事件の全体像もその後の経過も知らないのに、ネット上で尋問でもするかのような問い詰め方をし、しかも、自分にはそうすることが許されているのだと思っている。その傲慢さを恐ろしく感じます。生意気な女は叩いてもいい、目障りだから思い知らせてやろう、とでもいうかのようです。
そして、被害者とその友人Kさんが望んだ「解決」とは何だったのかと考えざるを得ません。
少なくとも、限られた情報しかなかった初期の段階で書いた私信を、私の許可なく世に出したことからは、彼らがやりたかったのは解決ではなく、復讐だったのだろうと思わざるを得なくなりました。
そして、マイノリティがマジョリティを叩いたら、報復として何十倍もの血を求められること、その暴力はとりわけ女に向かうということを、あらためて思い知らされました。まして、それを扇動している人たちの中に在日の男たちがいることには、吐き気すら覚えます。
一方的な情報だけに基いてあの手紙を書いたことは、悔やんでも悔やみきれません。そして、それがネットに公開され、マスコミにまで渡されることを想像できなかった私の責任は重いです。本当に申し訳ありません。
2016年9月10日
辛淑玉
※辛淑玉さんのfacebookより https://www.facebook.com/shinsugok/
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もう議論の余地はないでしょう。あなたが立ち上げた「のりこえねっと」は、何を乗り越えるのが目標だったのですか。9月10日のあなたの文章は支離滅裂です。失礼ながら落胆しました。あなたは「その手紙に書かれていたことを『証拠』として、李信恵さんに対する異常なまでの攻撃が始まりました」という。それは大間違いです。李信恵さんは自ら自身のツイッターで、何度も何度も「リンチはなかった」、「嘘に騙されちゃだめだよ」、「喧嘩はあったけどリンチはなかった」とあなたの文章があろうがなかろうが、自ら発信し続けているではないですか。彼女はあなたの指導ではなく、自ら書いた「謝罪文」の中で深い反省を表明しているではないですか。その中には「活動の自粛」も含まれます。
これは被害者に相談してのことではなく、李さんが一方的に提示した反省の姿勢を現すための「自粛」のはずでした。しかしその約束も反故にされます。約束を反故にする文章を目にして、私はその傲慢さに言葉がありませんでした。
「李信恵さんの活動再開については、Mさんが初期からカウンターの最前線に立ってヘイトスピーチに反対する活動をおこなってこられたお気持ちに反することはないものであると考えております」
辛さん。あなたは自分の気持ちを確かめられることもなく、意に反した一方的な「約束反故」を突き付けられたら、それもはらわたが煮えくり返るような内容を「お気持ちに反することはないものであると考えております」などと、穏やかながら意味においてM君の精神を抹殺するような言辞を向けられたら、黙っていられますか。あなたは不条理を許さない人だと、私は今でも思っています。このM君に対する「被害者の精神殺し」を辛さんは容認できるのですか。
あなたはこうも言う。「あの手紙を出した後、加害当事者であるLさんや関係者に会い、あの日起きたことの別の一面を知ることになりました。それは、被害者側から聞いた話とは相容れないものでした。私がLさんに会ってまず思ったのは、『こんなにちっちゃい子だったんだ』ということでした」
これは事実ですか。あなたがしたためた従前の文章によればあなたはLさんを事件の前から知っていた記述になっていますよ。記憶違いでしょうか。
それから、「多くの方は、加害者側は反省も謝罪もしていないと考えているようですが、裁判所が勧めた和解を被害者が拒絶して告訴した結果、刑事事件となりました」は事実誤認、いやはっきり言いましょう。嘘です。「裁判所が勧めた和解を被害者が拒否」した事実などありません。そもそも加害者に対する民事訴訟は、今日(9月12日)初弁論が開かれたばかりです。
加害者達は刑事事件では罰金処分を受けていますが、刑事裁判になっていないことはご存知でしょう。仮に刑事裁判になったら、相手は検察ですよ。刑事裁判で「和解」などあり得ない。では、どの「裁判所」が「和解」を勧めたとお考えなのですか。この部分は非常に大きな間違いです。全く事実と異なります。辛さんの性格であれば直ぐにご訂正頂けるものと信じます。
あなたは、悲しくもこうも言っている「事件当夜の飲み会は李信恵さんの裁判関係の流れで予定されていたのですが、その途中で知人の訃報が入り、飲み直そうということで現場となった店に移動したこと、また、みんな悲しみに沈んでいたので、店の外で行われていることには、全く関心が行かなかったということです。そして、私が恐怖を覚えたあの『笑い声』は、その場を何とか明るく盛り上げようと必死になっていた李信恵さんの声だったのです」
これは加害者達の言い訳のみに立脚した苦しい言い逃れです。誰かの訃報があろうが、場を盛り上げようと「笑い声」を挙げようが、暴力を受けた(殴る蹴る)被害者にとって、そんなことは関係ないことではないですか。沖縄の米兵が性欲を満たすために沖縄の女性を暴行した。その末に殺害にまで及んだ。でもその兵士は故郷の母親の訃報を聞いた直後だった。これが被害女性に対する加害者の言い訳になりますか。
「この事件について『正義』を唱え、楽しんでいる人たちは、いったい何がしたいのでしょうか。一年半以上も前のことを、まるで今起きたかのように騒ぎ、事件の全体像もその後の経過も知らないのに、ネット上で尋問でもするかのような問い詰め方をし、しかも、自分にはそうすることが許されているのだと思っている。その傲慢さを恐ろしく感じます。生意気な女は叩いてもいい、目障りだから思い知らせてやろう、とでもいうかのようです」
中にはそのような人がいるのかもしれませんが、「1年半以上も前のこと」の真相を今明かそうと努力してはならないのですか。私は日韓両政府が慰安婦問題に10億円でケリをつけようとしたことに腹が立って仕方がありません。慰安婦の方々が何十年も日韓両政府から冷たくあしらわれたことに、辛さんは怒りをお持ちではないですか。当事者の納得を得ず政府間で結ばれた「被害者を疎外した解決」は許せないとお感じになりませんか。事件がいつ起きたなどは重要な問題ではないのです。何が起きたか、そして周辺の人間がどのように動いたか。私はM君から話を聞き「酷い」と感じました。この感覚を辛さんと共有できると思っていました。でも無理なようです。本当に残念です。
そして、私は許せない気持ちであなたのこの言葉を糾弾します。
「そして、マイノリティがマジョリティを叩いたら、報復として何十倍もの血を求められること、その暴力はとりわけ女に向かうということを、あらためて思い知らされました。まして、それを扇動している人たちの中に在日の男たちがいることには、吐き気すら覚えます」
問題のすり替えです。「マイノリティがマジョリティーを叩いた」から加害者は責めを負っている訳ではありません。加害者は「謝罪文」まで書き、一度は反省の態度を現しながら、周囲の弁護士や大学教員が必至で事件の隠蔽に奔走したこと。さらには「事件」自体が無かったものであるとの言説を李信恵氏はじめ、周囲の人間が未だに止めないことが問題の根幹なのです。こんなところに筋違いの差別を持ち込んではいけない。
辛さん、私の顔はご記憶ですよね。私はこの「事件」の取材を始めてから、辛さんが懇意にしておられる野間易通氏のツイッターに無断で顔写真を数回掲載されましたよ。悪口を添えたリツイートも数限りなくありました。野間氏はいまだにM君への攻撃を止めません。
これ以上悲しい離別にしたくはありませんので、ここまでにします。
長い間お世話になりました。私が病床に伏せている時にかけて頂いた優しい言葉は生涯忘れないでしょう。あなたは私の心の友人でした。深く感謝します。
今、私は深く深くあなたに落胆しています。それでも辛さんのご健勝とご多幸をお祈りします。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。